ボッビオ Bobbio
ボッビオ (Bobbio)は、イタリア北部エミリア・ロマーニャ州ピアチェンツァ県 (Piacenza)の町。
【アクセス】
Piacenza (ピアチェンツァ) からTrebbia (トレッビア)川に沿って南下すると、渓谷に沿うように、リヴェルガーロ村 (Rivergaro)やペリーノ村 (Perino)等、立派な聖堂を持つ村が点在しています。更に南下して、バスで1時間ほど過ぎた所にボッビオ村があります。
【概 要】
アイルランドの聖コロンバ (Saint Columba)の第一の弟子であった、聖コロンバーノ (San Colombano)が614年にフランク王より保護を得て、ボッビオに土地を受領し修道院を建設しました。その後多くの修道僧が住み、多くの写本を所蔵することにより、中世には知識の一大集積所として重要視されています。
なお、聖コロンバーノの弟子たちはドイツやフランスに多くの修道院を建設しています。
ボッビオはこのようにコロンバーノ修道院を中心とした宗教共同体でしたが、11世紀初頭には司教座がおかれます。20世紀になってジェノバの司教座に入った後、現在ではピアチェンツァとボッビオ司教区となっています。
コロンバーノ修道院の建物の一部は現在学校になっていますが、その他に修道院博物館と公立博物館、現代美術館、図書館等の施設が併存して入っています。なおそれぞれの開館日は季節により異なりますので注意が必要です。
曲がりくねった狭い石畳の道を散策すると歴史的建造物に出会うことができますし、坂を登って行くと15世紀半ばに建設された小さな城 (Castello Malaspina dal Verme di Bobbio)もあります。
村は城壁に囲まれており、多くの門が構えられていた時代がありました。現在でも大聖堂から川に向かって南下するとアルカリーナ門 (Porta Alcarina)に出ます。そのほか、フラングラ門 (Porta Frangla)、チェボラ門 (Largo Porta Cebolla)、レグレリア門 (Largo di Porta Legrelia)など地名に残っていますが、全て門の跡はありません。
村の東を流れるトレッビア川には波打つ11のアーチが並ぶ太鼓橋 (Ponte Gobbo)が架かっています。「悪魔の橋」と呼ばれる石造りの橋で、聖コロンバーノが氾濫で流された木橋を悪魔に命じて石橋で造らせた、との伝説があるみごとな橋です。
川の対面に渡ると美しい村が一望できます。修道院を含む歴史的景観地域とともに、この橋は観光に大いに役立っています。
【その他の情報】
ボッビオについては、こちら↓のPDFファイルもご覧ください。
「イタリアふれあい街歩き」→「イタリア州別区分地図」→「エミリア・ロマーニャ」→「ピアチェンツァ県」→「PDFファイル ボッビオ」←(リンク先は「PDFファイル」なので、右クリックして「名前を付けてリンク先を保存」を選択してダウンロード後、PDFリーダー(Acrobat Reader等)で好みのサイズにして読むのが良いでしょう。
1. DUOMO (SANTA MARIA ASSUNTA) サンタマリア・アッスンタ大聖堂
1075年に建設されましたが、その後1463年の他、幾度も改築されてきています。
聖堂の正面は中央入口の脇に二か所の入口があり、上に丸窓があるだけのロマネスク様式です。
1463年にはそれまであった柱廊が取り除かれて、非常にシンプルな構造になっています。
左に高い鐘楼と、右にはその三分の二ほどの高さの鐘楼が聖堂に平面で並び立っています。なお、建設当初の遺構は正面の二本の鐘楼の下層部に残るのみです。
聖堂内は三廊式で、18世紀にバロック様式に改装されています。
正面の主祭壇にはキリストの磔刑像が掲げられていますが、アプシスには14世紀の聖母被昇天が華やかな色彩で描かれています。
右側廊の一番目は聖セバスティアノ (San Sebastiano)礼拝堂で、奥の正面にあるサンジョヴァンニ (San Giovanni) 礼拝堂には15世紀に描かれた受胎告知のフレスコ画が残っています。
右袖廊にはキリストが、左袖廊には聖母子像が置かれています。
身廊のボールト天井を支える四本の柱は青と白で、その間のアーチを支える柱は白とピンクの縞模様の石で積み上げられ、天井には青空に金の星が輝いており、明るい色彩に富んでいます。
アーチの間には福音書記者と聖ペテロと聖パオロが、その上には聖セバスティアン他、聖人が描かれています。
地下聖堂にはボッビオの司教の墓が見られます。
2. ABBAZIA DI SAN COLOMBANO 聖コロンバーノ修道院
聖コロンバーノが建設した修道院の跡地に10世紀になってロマネスク様式で建設されましたが、1456年以降再建されています。
正面には七つの尖塔型アーチの並ぶ柱廊が突き出していますが、片蓋柱に挟まれた一か所の入口の上に丸窓とその上の壁龕に聖人の像が飾られた簡素な作りです。
聖堂内はラテン十字形の三廊式で、ルネサンス様式で作られています。
正面主祭壇にはキリストの磔刑像が下げられ、奥のアプシスにはオルガンが置かれ、聖歌隊席は1488年に造られたものです。
天井には多くの天使が天空に舞う中央に聖人が描かれています。
身廊には束ね柱がボールト天井を支え、側壁には16世紀初頭にランザーニ (Bernardino Lanzani)が描いた十二使徒が二人ずつその持ち物と共に描かれ、その下にはキリストへの拷問の道具や、聖顔布を持つ天使がフレスコ画で描かれています。
袖廊には福音書記者がその表象を足下に添えて描かれていますが、四大教父もまたその持ち物と共に描かれています。
福音書記者と四大教父とが同一の聖堂内に描かれる例は時に見られますが、このように近くに対峙して描かれているのはあまり見られません。
左側廊の最初には洗礼盤が置かれています。右側廊の三番目には聖ルチア (Sana Lucia )と聖アガタ (Sant'Agata)の礼拝堂が、5番目には聖マルチーノ (San Martino di Tours)礼拝堂があります。
地下聖堂には12世紀のモザイク画が見られます。
槍を持ったローマの騎馬兵の突進する下には斬首された兵が横たわり、一年間の月ごとの農作業と収穫を表したもの、またロマネスク独特の羽のあるドラゴンなど怪獣が色彩と共に残っています。
聖コロンバーノ (615年没)の聖遺骨と聖アッティラ (San Attila : 627年没)と聖ベルタルフ (San Bertulf : 640年没) の聖遺骨を納めた石棺が並べて置かれています。
3. SAN FRANCESCO 聖フランチェスコ聖堂
村の北にあり、村の入口にあたるバス停留所は聖フランチェスコ広場と呼ばれています。
切妻式屋根で一か所の入口がある小さな造りで、右側面の建物の中に鐘楼が立つロマネスク様式の聖堂です。
裏手に廻るとほとんど窓のない石積みされた半円筒形の後陣の形が良く判ります。側面に礼拝堂が並んでいたと思われます。
現在荒廃した廃墟となっており、聖堂の役割を果たしていません。
4. SAN LORENZO 聖ロレンツォ聖堂
聖コロンバーノ修道院の裏手にあり、切妻式屋根で一か所の入口がある小さな石造りの聖堂です。
左側に鐘楼が立つロマネスク様式の聖堂です。周囲の建屋に溶け込んでいます。
聖堂内は単廊式です。
主祭壇には聖ロレンツォの殉教の場面が描かれた絵が掲げられ、内陣には聖歌隊席が見られます。
両脇には聖家族とパドヴァの聖アントニオを描いた絵が掛けられています。
5. SAN NICOLA 聖ニコラ聖堂
聖コロンバーノ修道院の南側で、大聖堂の西側にあります。狭い聖ニコラ通り (Contrada di San Nicola)とオスペダーレ通り (Contrada dell'Ospedale)の交叉する所にある小さな聖堂です。
6. SANTA CHIALA 聖キアラ聖堂
大聖堂の右手の司教区博物館に沿って西に向かうと村役場に出ます。その前が聖キアラ聖堂広場と呼ばれる広場です。
聖堂は15世紀に建設されましたが、16世紀、17世紀に改築された後、学校に転用されています。
現在では村役場、図書館、資料館、視聴覚室などに利用されています。視聴覚室の天井には華やかな花綱を持つ天使や音楽を奏でる天使が描かれており往時をしのばせます。
聖堂としての役割は果たしていません。
7. SANTUARIA DELLA MADONNA DELL'AIUTO マドンナ・デル・アイウート聖堂
ガリバルディ通りに面しており、村に入る手前にあります。そのすぐ先が聖フランチェスコ広場です。
聖堂の前は通りの上を覆う柱廊となっており、その正面の上には聖母子の立像やその脇に聖ロッコや聖クルストフォロなどの聖人像がありますが、よく見えません。
裏のコルニャーテ通り (Via di Corgnate)から見ると半円筒形の後陣が見え、高い鐘楼があることが判ります。
聖堂内は単廊式で、バロック様式で飾られた主祭壇には受胎告知の絵が掲げられています。両脇には礼拝堂が並んでいます。
また、同じようなバロック様式の祭壇には聖セバスチャンの絵が見られます。
Bobbio (ボッビオ)近くの町
Perino ペリーノ
ペリーノ Perino は、ピアチェンツァからボッビオに向かって、ボッビオの15キロメートルほど手前にある、人口1,000人足らずの小さな村です。
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SAN LUIGI DE GONZAGA 聖ルイージ・デ・ゴンザーガ聖堂
右手に高い鐘楼があり、大きな入口に丸窓を備えた立派な聖堂です。
聖ルイージは16世紀半ばの人物で、ルイージはアロイシウス (Aloysius de Gonzaga)のイタリア名です。マントヴァのゴンザーガ一族の家系に属する貴族でした。
侯爵の相続権を有していましたが、トレント公会議の決着をつけた枢機卿で1564年にミラノの大司教となったカルロ・ボッロメオ(Carlo Borromeo)の影響を受け、聖職者となっています。
同じ時代には宗教改革に対抗した聖フィリッポ・ネリ (San Filippo Neri)や聖イグラチオ (Ignatius de Loyola)がいます。