ラヴェンナ Ravenna_2
ラヴェンナ Ravenna_2
13. Mausoleo di Galla Placidia 皇母ガッラ・プラチディア霊廟 (聖ロレンツォ礼拝堂)
14. Santa Maria del Suffragio サンタマリア・デル・スッフラジオ聖堂
15. Santa Maria in Porto サンタマリア・インポルト聖堂
16. Santa Maria Maddalena サンタマリア・マッダレーナ聖堂
17. Santa Maria Maggiore サンタマリア・マッジョーレ聖堂
18. Sant'Agata Maggiore 聖アガタ・マッジョーレ聖堂
19. Sant'Apollinare in Classe 聖アポリナーレ・インクラッセ聖堂
20. Sant'Apollinare Nuovo 聖アポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
1~11までは「ラヴェンナ Ravenna_1」をご覧ください。
12. Santa Croce 聖十字架聖堂
ポポロ広場 (Piazza del Popolo)北東側からセラフィーノ・フェルッツィ通り (Via Serafino Ferruzzi)を北に向かうと左手に石の塔が見え、突き当たりを左折してマリノ通り (Via Ponte Marino)を進み、突き当たりを右折して直ぐに左折し、ガンバ通り (Via Gamba)に入ります。
さらに進んで突き当たりで右折、すぐ左折してガエタノ・モンティ通り (Via Gaetano Monti)に入り、三差路で右側のガッラ・プラチディア通り (Via Galla Placidia)に入ると右手に見えてきます。
左手に皇母ガッラ・プラチディア霊廟 (Mausoleo di Galla Placidia:聖ロレンツォ礼拝堂)が見えます。
西ローマ帝国のホノリウス (Honoius)帝の妹で、皇帝ヴァレンティニアン (Valentinian)3世の母のガッラ・プラチディア (Galla Placidia)は、西ローマ帝国皇帝の摂政として、ラヴェンナの町が首都としての体裁が保てるよう、多くの教会を建立しました。
聖十字架聖堂はその中心の教会として417年に奉献されました。15世紀に罹災し、再建されています。
鐘楼は17世紀の建設ですが、現在共に、3.5mほど埋没しています。
417年から421年の建立説に従うと、皇母ガッラ・プラチディアは建設当時生存していた (450年没)ことになり、当初より、自身の墓所として建設したと思われます。
ラテン十字型の教会は、エルサレムの聖墳墓聖堂を模倣したとされます。
20世紀後半の発掘作業で聖堂の全体像が判明しましたが、皇母ガッラ・プラチディアの墓所は中央祭壇部分に予定されていたと思われます。
身廊の両脇にはモザイク画で飾られていたと思われる回廊が付いています。
公式観光サイト:「Ravenna Tourism」(英語)
こちらによれば、現在一般公開はされていません。
13. Mausoleo di Galla Placidia 皇母ガッラ・プラチディア霊廟 (聖ロレンツォ礼拝堂)
当初、ラヴェンナの主要な教会であった聖十字架聖堂 (Santa Croce)に接続しており、聖十字架聖堂の豪華な別院とみなすことができますが、1602年に道路建設の際に切り離されて、現在では聖ヴィターレ聖堂 (San Vitale)から訪問することになります。
425年から430年にかけて建造されています。 3.4m×10.2mと3.4m×11.9mのほぼ正十字形ですが直角には交差していません。
中央にはサイコロのような立方体が載っています。
この地も地盤沈下で約1.5m埋没しており、1540年に1.43m程上に床を敷き直しています。
皇母ガッラ・プラチディアの霊廟と称せられていますが、皇母ガーラ・プラチディアはローマで死去しており、ここに埋葬された訳ではありません。
9世紀に皇母ガッラ・プラチディアはサンヴィターレ聖堂 (San Vitale)の脇に埋葬されたとする伝説が生じ、13世紀にはこの 建物が皇母ガッラ・プラチディアの霊廟とみなされることになりました。
本来、聖ロレンツォに奉献された礼拝堂です。ラヴェンナにはこの他に三ヶ所に聖ロレンツォに奉献された教会が存在していました。
礼拝堂内には多くのモザイク画が描かれています。
入口上部の半円形天井部分に描かれた「良き羊飼」は金色のチュニックと紫のマントを着て、長い十字架を掲げ、オルフェウス (Orpheus)の姿態で岩に座していますが、キリストを表しています。
左右に3頭の羊が描かれ、厳格に様式化されています。
中央の交差部天井はパンダンティフ式円蓋が冠せられ、青地に金の十字架と567個の八角形の星が描かれ、四隅には四大福音書記者の表象が描かれています。
上部の窓の左には聖パウロ、右に聖ペテロが描かれ、足元には二羽の鳩が水盤の両脇に描かれています。
その他四面に同じように二人の聖人と二羽の鳩と水盤が描かれています。
下部の半円形の奥には長い十字架を掲げ、福音書を持ち火刑に向かう聖ロレンツォが描かれ、その先には巨大な金網の下で炎が上がり、奥には四大福音書が奉納された書架が描かれています。
四本の川の両脇に二頭の鹿が描かれていますが、5世紀には、鹿は奉献と洗礼の表象として、描かれることが多くありました。
公式観光サイト:「Ravenna Tourism」(英語)
Mausoleum of Galla Placidia (英語)
開館時間や入館料金が記載されています。
14. Santa Maria del Suffragio サンタマリア・デル・スッフラジオ聖堂
駅から町中に向かって進み、ポポロ広場 (Piazza del Popolo)に入る手前の右側にあります。
正面は西面しており、通りから北にフェルッツィ通り (Via Serafino Ferruzzi)に入った所にあります。
入口は三ヶ所あり、屋根の両脇に聖人像が載るルネサンス様式の聖堂です。
聖堂内はギリシャ十字形で、中はバロック様式になっています。
公式観光サイト:「Ravenna Tourism」 (英語)
Church of Santa Maria del Suffragio (英語)
開館時間などが記載されています。
Notable Buildings in Ravenna (英語)
Santa Maria del Suffragio (英語)
内部の写真が豊富です。
15. Santa Maria in Porto サンタマリア・インポルト聖堂
駅前から西に向かって進み、ローマ通り (Via di Roma)を左折して、テオドリック王の宮殿 (Palazzo di Teodorico)を過ぎ、ヌオヴァ門 (Porta Nuova)に向かうと左手に見えてくる大きな聖堂です。
1553年から1606年にかけて、6km離れたカエサレア (Caesarea)にあった聖ロレンツォ聖堂 (San Lorenzo)の石材を使用して、後期ルネサンス様式で建設されています。
ラテン十字形で、中央に見える八角形のドームは40mの高さがあります。
18世紀半ばにマリジャ (Camillo Marigia)により聖堂正面はバロック様式に変更されています。
下層部分には三ヶ所の入口がありますが、その脇には二本ずつのイオニア式柱頭飾りのついた太い円柱が並び、その間の壁龕には、誠実・希望・慈愛・謙遜を表象する彫刻が置かれています。
入口の上には聖母像があり、上層部分にも両脇の聖アウグスティン、聖ロレンツォの他二人の聖人の立像の他、賑々しく浮き彫り彫刻で飾り立てられています。
聖堂内は三廊式で、内陣には16世紀制作の木製の聖歌隊席があります。
中央左手の祭壇には聖母が浮彫にされた大理石が飾られています。通称「ギリシャの聖母 (La Madonna Greca)」と呼ばれていますが、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルから1100年4月8日にラヴェンナの海岸に漂着したとの言い伝えがあります。
ギリシャの彫刻のように見えることからの名称ですが、11世紀ビザンティン様式のものです。
左側廊の四番目の礼拝堂にはジョヴァーネ (Palma il Giovane)作「聖マルコの殉教」があります。
多くの絵画で飾られた華やかな聖堂です。
公式観光サイト:「Ravenna Tourism」 (英語)
Basilica of Santa Maria in Porto (英語)
開館時間などが記載されています。
Notable Buildings in Ravenna (英語)
Santa Maria in Porto (英語)
写真がたくさんあります。
16. Santa Maria Maddalena サンタマリア・マッダレーナ聖堂
町の中心のポポロ広場 (Piazza del Popolo)西側のカイローリ通り (Via Cairoli)を南下し、マリオ・ゴルディニ通り (Via Mario Gordini:左側、右側はラウル・ガルディーニ通り:Raul Gardini)と交差すると、通りの名前がコラード・リッチ通り (Via Corrado Ricci)に変わります。通りに入ってすぐ左側にあります。
18世紀半ばに建設された小さな聖堂です。
聖堂内は単廊式で、左右の側壁にマグダレのマリアに関連した数枚の絵が掛けられています。
中には17世紀のパスカリ (Filippo Pasquali)の作品があります。
主祭壇にはキリストとマグダレのマリアの「我に触れるな」の絵が掛けられています。
公式観光サイト:「Ravenna Tourism」(英語)
Church of Santa Maria Maddalena (英語)
開館時間などが記載されています。
Notable Buildings in Ravenna (英語)
写真がたくさんあります。
17. Santa Maria Maggiore サンタマリア・マッジョーレ聖堂
聖ヴィターレ聖堂 (San Vitale)の脇にあり、聖十字架聖堂 (Santa Croce)は道を挟んで隣です。
6世紀初めにラヴェンナのエクレシオス司教により建立され、17世紀に改築されています。四層の円筒形の鐘楼は9世紀の建設です。
聖堂内は三廊式で主祭壇には聖母子像が飾られています。
身廊にはコリント式の柱頭飾りのある16本の円柱が並んでいましたが、17世紀に改築された際にも再利用されています。
アプシスにあった聖母の大きなモザイク画は残っていません。
祭壇はバロック様式になっていますが、側壁は飾り立てられることもなく、簡素な聖堂です。
公式観光サイト:「Ravenna Tourism」(英語)
Church of Santa Maria Maggiore (英語)
開館時間などが記載されています。
Notable Buildings in Ravenna (英語)
Santa Maria Maggiore (英語)
写真がたくさんあります。
18. Sant'Agata Maggiore 聖アガタ・マッジョーレ聖堂
ポポロ広場 (Piazza del Popolo)からカイローリ通り ()で南に向かい、通りの名前がコッラード・リッチ通りと変わって、リベルタ広場 (Piazza Caduti Per la Liberta)に出て、更に南にジュゼッペ・マッツィーニ通り (Via Giuseppe Mazzini)をシシ門 (Porta Sisi)に向かって進むと左手にあります。
ロマネスク様式の聖堂で、地盤沈下のため、一階部分は2.5m程埋没しています。
5世紀に建設され、16世紀に再建されています。
右手の円柱形の鐘楼は1560年に完成され、直径に比べて背が低く、聖堂の高さまでしかありません。
1688年の地震で大破し、第2次大戦でも大破しています。
聖堂入口脇の片蓋柱には浮彫が施され、上部には二連式の窓が見えます。入口にはルネサンス様式の袖廊があり、イオニア式柱頭飾りのある柱が支えています。
聖堂内は三廊式で、数次に渡り修復されて来た結果、西ローマ帝国時代、ビザンティン様式、ルネサンス様式の混在した10本の柱が並んでいます。
側面にはビザンティン様式の石棺や6世紀の石棺が置かれ、中にはアグネリス (Agnellis)大司教の墓碑もあります。
アプシスには5本の窓とフレスコ画がありますが、元はモザイク画が貼られており、その一部が残っています。
中央主祭壇にはルカ・ロンギ (Luca Longhi)作、「聖アガタの殉教と聖カテリーナと聖チェチリア」があります。
公式観光サイト:「Ravenna Tourism」 (英語)
Basilica of Sant'Agata Maggiore (英語)
入館可能時間などが記載されています。
Notable Buildings in Ravenna (英語)
Sant’Agata Maggiore (英語)
内部の写真があります。
19. Sant'Apollinare in Classe 聖アポリナーレ・インクラッセ聖堂
クラッセ (Classe)は、ラヴェンナの南5km程にある隣町で、国鉄では一つ隣の駅ですが、本数が少ないので、公共の交通機関としてはバスで訪問するのが便利です。
聖堂の前に立つ、アウグストゥスの立像は、クラッセ (Classe)の地名の元となった艦隊 (classis)の海軍基地をこの地に建設したことによります。
ウルシチヌス司教に立案され、マクシミアン司教により、549年5月9日にラヴェンナの最初の司教で守護聖人である、聖アポリナーレに奉献されて建設されました。
長さが55.58m、幅が30.3mある大きな聖堂です。
左手にある鐘楼は、10世紀の建造で、高さが37.5m、内径は6.17mあります。
ラヴェンナでも均衡のとれた美しい塔です。尖塔型の窓は下からの三層が1ヶ所で、次に2ヶ所、上の三層は3ヶ所、と順に数を増やし、天に登るように見せると共に、塔の上層部を軽くしていくという構造上の問題を解決しています。
聖堂の正面には、簡素な造りで三連式の尖塔型窓がある建屋があります。
聖堂内は三廊式で、身廊両脇にはビザンティン様式の柱頭飾りの載る柱が並んでいますが、4.67mある12本の柱は使徒を表しています。
その上には歴代の司教の胸像がモザイクで描かれています。
中央祭壇には聖アポリネールの聖遺骨が埋葬されていました。
アプシスには五つの窓がありますが、その間の柱には、ラヴェンナの聖堂建設に係わった、エクレシウス司教、セヴェルス司教、オルスス司教、ウルシチヌス司教の4人の司教が描かれています。
正面のアプシス上は巨大なモザイク画で飾られています。
タボル山でキリストが変容した場面を表していますが、キリストは人物像ではなく、十字架で象徴しています。
99個の金の星が散りばめられた空に輝く十字架の中央には小さくキリストの顔が見えます。
十字架の左右にはAとWが見えます。
十字架を取り巻く周囲の天空は金色で、地上は緑で色分けされています。
上からは天の手が見え、左手に預言者モーセが、右手には預言者エリアが見えます。
地上には草木が茂り、花咲く地には鳥が舞っています。左手で十字架を見上げる1匹の羊は聖ペテロで、右側の2匹の羊は聖ヤコブと聖ヨハネを表象しています。
中央で祝福するのは、初代ラヴェンナ司教の聖アポリネールです。両脇の12匹の羊は使徒を表象しています。
凱旋門アーチの頂点にはキリスト像が描かれ、脇の四大福音書記者像は12世紀の追加ですが、その下にベツレヘムとエルサレムから出て中央に向かう6頭の羊もまた12使徒の表象です
アプシスの側面右側のモザイク画では、アベルは羊を捧げ持ち、メルキセデクは正面でパンとワインを提供しています。
アブラハムはイサクを供犠し、それを左手の上から天の手が制止しています。
左面のモザイク画は、聖ヴィターレ聖堂 (San Vitale)のユスティニアヌス帝を模倣したもので、コンスタンティヌス4世皇帝とその兄弟達です。
脇にはレパルタス (Reparutus)大司教が描かれています。
聖堂の側面には10個のビザンティン様式の浮彫がされた大理石の石棺が置かれています。
一番古くは5世紀からのラヴェンナの司教が埋葬されており、貴重な石棺ですので、必見です。
公式観光サイト:「Ravenna Tourism」 (英語)
Basilica of Sant'Apollinare in Classe (英語)
開館時間、入館料金などが記載されています。
20. Sant'Apollinare Nuovo 聖アポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
駅前のロータリーからファリーニ通り (Viale Farini)を西に向かい、広いローマ通り (Via di Roma)を南に左折すると左側に見えて来る大きな聖堂です。
493年頃にテオドリック王がアリウス派の教会として宮殿の北側に隣接して建設した、古い聖堂です。
その後、6世紀半ばにアグネッリョ (Agnello)司教が再度聖マルティネス (San Martines)を奉献して正統なカソリック聖堂としています。9世紀になってクラッセの聖アポリナーレ聖堂 (Sant’Apollinare in Classe)から聖遺骨を移遷して、現在の名称に変更しています。
鐘楼は9世紀の建設で、聖アポリナーレ・インクラッセ聖堂の鐘楼とほぼ同じ高さ38.5mあります。
尖塔型窓は下層四段が一ヶ所で、次の三層が2ヶ所、上部二層が3ヶ所に順次増加させ、上昇性を示すと共に軽量化を図っています。
聖堂正面には柱廊があり、聖霊聖堂と同じ造りになっています。16世紀に改修されています。
聖堂内は三廊式です。
両脇には12本ずつコリント式柱頭飾りのついた大理石の円柱が並び、12使徒を表しています。身廊の側面上は見事なモザイク画で飾られています。
正面のアプシスにはアグネッリョ大司教の命でモザイク画がありましたが、8世紀の地震で崩壊し、18世紀に改修されています。
また当初の床は1.25~1.5m下にあり、16世紀に床上しています。
南側の西端にはテオドリック王の宮殿が描かれていますが、カーテンの場所には、当初王宮の人物が描かれていました。後日消されたことは柱の一部に手が残されていることで分かります。
宮殿から26人の男性の殉教者がキリストに向かい行進しています。
殉教者の先頭に立つのは聖マルティネスで、4番目の聖ロレンツオは金色の服をまとっています。
全ての聖人は王冠を捧げ、白い衣装を着て同じ動きで描かれています。
東端は両脇に二体の天使が立つ御座のキリストで、正面を見ています。当初左手は聖書を持っていましたが19世紀に改修されました。
北側の西端はクラッセの街並みで、港には3隻の船が見えています。城壁は後日修正されています。
クラッセの町から22人の女性の殉教者が聖母子に向かい行進しています。
殉教者の先頭は聖エウゲニアです。
4番目の聖アグネスの下には羊が描かれています。
男性の聖人と同様に王冠を捧げ持ち同じ服装で描かれています。
殉教者の前には聖母子に貢物を捧げるキャスパ-、バルサザール、メルキオールの三人のマギ。当初は王冠を被っていたと思われますが、後日フージア帽に変更されています。
聖人の足元の緑の原には花が咲いています。
二体の天使が脇侍する聖母はキリストを膝に正面を見ています。
最上階はキリストの生涯が13面ずつ描かれています。限られた狭いスペースを配慮し、画面は細部を排し、少ない人物でモニュメンタルに描かれています。
北側はキリストの奇跡と伝承を描き、南側はキリストの受難と復活が描かれています。
中階の窓の間には両面に各16名の男性の聖人立像が描かれ、11人が本を、21人が巻物を持っています。
公式観光サイト:「Ravenna Tourism」 (英語)
Basilica of Sant'Apollinare Nuovo (英語)
開館時間、入館料金などが記載されています。
21. Sant'Eufemia 聖エウフェミア聖堂
ポポロ広場 (Piazza del Popolo)から11月4日通り (Via IV Novembre)を北に進み、アンドレア・コスタ広場 (Piazza Andrea Costa)で左折して、カヴール通り (Via Camillo Benso Cavour)を西に進み、西の端にあるアドリアーナ門 (Porta Adriana)の一本手前のジャン・バッティスタ・バルビアーノ通り (Via Gian Battista Barbiani)を南に曲がると左手にあります。
通りから少し奥まったところにあり、正面には入口が一ヶ所、その上に丸窓があるだけで、右奥に鐘楼が見えてはいますが、見過ごしてしまいがちな小さな聖堂です。
聖堂内は単廊式で、正面には聖エウフェミアの殉教の絵が掛けられており、左右に一ヶ所の礼拝堂があります。
この奥に5世紀から6世紀のビザンティン帝国時代の建物が接続しており、現在博物館となっています。
地下3mの深さからモザイク画で敷き詰められた床が発掘されたことで脚光を浴びています。
22. Santo Spirito サントスピリト聖堂
駅前ロータリーからファリーニ通り (Viale Farini)を西に向かい、左手に広がるシュパイアー公園 (Giardino Speyer)の左側にある聖ジョヴァンニ聖堂 (San Giovanni Evangelista)を過ぎ、ローマ通り (Via di Roma)に右折して進み、一本目のパオロ・コスタ通り (Via Paolo Coasta)を左折して直ぐにアリアーニ通り (Via degli Ariani)に左折すると左側にあります。
この聖堂の前にアリアーニ洗礼堂(Battistero degli Ariani:アリウス派の礼拝堂)があります(写真右側)。
6世紀初めにテオドリック王がハギア・アナスタシス (キリストの復活)に奉献して建設されています。このような例は西ローマ帝国内ではまれですが、ラヴェンナの町はビザンティン帝国の影響を強く受けていたことによります。隣接してアリウス派の洗礼堂が建設されました。
アグネリス (Agnellis)司教により、正統カソリックに変更され、聖テオドロに奉献し直されています。更にその後聖堂名は変更されています。
1543年にルネサンス様式の三連式の柱廊が付け加えられました。
聖堂内は三廊式で、14本の柱が並んでいます。
現在ではギリシャ正教の聖堂になっています。
内陣の前にはイコン画が並べられ、一般信徒との場所を区切っているのもギリシャ正教ならではのことです。
アプシスには三連の窓があり、その脇にギリシャ正教の司教服を着た聖人の絵が掲げられています。側壁にも聖人画が見られます。
なお、この聖堂の名前の由来は、鳩が舞い降りた人物が司教に選ばれたという言い伝えによるとされています。
公式観光サイト:「Ravenna Tourism」 (英語)
開館時間などが記載されています。
Notable Buildings in Ravenna (英語)
Spirito Santo (英語)
写真があります。