コネリアーノ Conegliano
コネリアーノ (Conegliano)は、ヴェネト州トレヴィーゾ県 (Treviso)の都市で、県都トレヴィーゾに次ぐ第2の都市。
この地域の発泡城ワイン「プロセッコ・ディ・コネリアーノ (Prosecco di Conegliano)」が有名。
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【アクセス】
ヴェネツィアから鉄道を利用して1時間ほどで着きます。トレヴィーゾ(Treviso)からは30分かかりません。
アルプスに向かい北へ伸びる鉄道とアドリア海の奥深く西へ向かう鉄道の分岐点になっている街なので、1時間に2本から3本ほどの運行がありますので訪問しやすい街です。
【街を歩く】
旧市街は駅前から北側に展開しており、駅前からカルドゥッチ通り(Viale Giosue Carducci)を北に進むと、東西に走るエマニュエーレ2世通り(Corso Vittore Emanuele II)に出ます。通りの北側は道に沿って幅の広い緑地帯になっており、公園のような構成になっています。
直進して階段を上がり、建屋の下を通り抜けるとエマニュエーレ2世通りと並行している9月20日通り(Via XX Settembre)に出ます。その北側が街の中心となるチーマ広場 (Piazza Giovanni Battista Cima)です。正面には立派な造りの劇場 (Teatro Accademia)があり、広場の右手東側に市庁舎があります。
9月20日通りが旧市街のメインストリートで、東の端には通りを覆う頑丈なモンティカーノ門 (Porta Monticano)があり、西の端には通りの両脇に六角形の塔が並ぶ華奢なダンテ門 (Porta Dante Alighieri)があります。なお、ダンテ門から南に下がるとエマニュエーレ2世通りの西の端に当たり、ネプチューンの噴水(Fontana del Nettuno)があります。
落ち着いた文化の香りのする小さな街で、チーマの作品を鑑賞しながら旧市街を散策するのに適しています。なお、この地方は上質の発泡性の白ワインを産することでも有名で、プロセッコ・ディ・コネリアーノはDOCワインです。
【チーマ】
チーマ(Giovanni Battista Cima。通称はCima da Conegliano:1460年から1518年) は、コネリアーノが生んだ偉大なルネサンス時代の画家で、15世紀末から16世紀初めに、主としてヴェネツィアで活動していました。
チーマの生家はこの広場の左手のチーマ通り(Via G. B. Cima)を進むと右側にあり、現在は博物館(Casa Museo di Giovanni Battista Cima)になっています。この偉大な画家を街が誇りに思っていることが良く分かります。
チーマ広場の奥からは小高い山になっており、頂上に10世紀に建設された城があります。
チーマは絵画の背景に風景を描くことを確立させた画家、と言われていますが、その背景に描かれている山や城はこの故郷の風景と言われています。チーマの絵画を見るとその城の形態が良く似ていることが分かります。
1. Duomo 大聖堂 (Santa Maria Annunziata e San Leonardo)
街の中心のチーマ広場(Piazza Giovanni Battista Cima)から、西に向かって9月20日通り(Via XX Settembre)を進むと、通りの両側はポルティコになっており、店が並んでいます。
聖堂は通りに沿って南北に広がっており、聖堂前には広場もなく、両脇にも建屋が並んでいますので、聖堂の正面も後陣も見えません。
聖堂の側壁に額の中に文字が並ぶフレスコ画が数枚あるだけで絵画も特段の飾りもありませんので、気が付かずに通り過ぎてしまう恐れがあります。
扉口は聖堂の側面に数段の階段を上ったところにあります。扉口上にはよく見ると、聖母子のフレスコ画があります。聖堂の右側にある鐘楼はチーマ広場からは見えますが、聖堂に近づくとポルティコのために、見えなくなってしまいます。
1354年に建設された当時は、山の上の城の内にある聖オルソラ聖堂(Sant'Orsola)に司教座がありましたが、1756年に司教座がこの聖堂に移ったので、現在では大聖堂となっています。
聖堂内は三廊式です。
身廊の両脇の円柱にはフレスコ画で、右に聖ロレンツォ、左に聖ステファノが描かれています。
中央主祭壇にはチーマが1492年に制作した、「玉座の聖母子の左側に洗礼者聖ヨハネ、聖ニコラ、聖カテリーナ、右側に聖アポロニカ、聖フランチェスコ、聖ピエトロ」の大作が掲げられています。
内陣の両側壁にオルガンが掛けられています。
側廊の祭壇には、パルマ (Palma il Giovane)の1534年作「アレキサンドリアの聖カテリーナ」のほか、フレジメリカ(Francesco Fregimelica il Vecchio)作の「キリストの洗礼」、ポッツォセラット(Ludovico Pozzoserrato)作の「受胎告知」、コネリアーノ出身のベッカルッツィ(Francesco Beccaruzzi) 作の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」など、見ごたえのある16世紀の作品が多く掲げられています。
なお、残念ながら聖堂内には十分な採光が取られておらず、絵画を堪能するのは困難ですが、絵画のためには良いことかもしれません。
2. Santi Rocco e Domenico 聖ロッコと聖ドメニコ聖堂
駅前からカルドゥッチ通り(Viale Giosue Carducci)を進み、コルソ・ヴィットーレ・エマニュエーレ2世(Corso Vittore Emanuele II)に出て、左折すると左側にあります。
聖堂の前には柱廊がありますが、扉口は小さく人通りも多いので、この地方でよく見られるポルティコが始まったかと思って通り過ぎてしまうほどです。
通りを渡ってから聖堂の正面を見ると四本の太い方形の柱が三角形の破風を支えている堂々とした造りであることが分かります。1630年に建設されています。
聖堂内は単廊式です。
中央主祭壇にはベッカルッツィ(Francesco Beccaruzzi)作の「聖カテリーナの結婚」が掛けられています。
天井には多くの天使が音楽を奏でる中、聖ロッコと聖ドメニコが被昇天するさまが描かれています。
両脇に礼拝堂が三か所ずつ並び、最後の晩餐や、キリストの磔刑像、聖母像の他に、聖ロッコの立像も収められています。小さい聖堂ですが、厳粛な印象を与える聖堂です。
3. Madonna della Neve マドンナ・デラ・ネーヴェ聖堂
チーマ広場の西端からアッカデミア通り(Via Accademia)を北上し、城のある山に向かう狭い坂道(Calle Madonna della Neve)は両側が高い石塀で閉ざされており、周囲は見渡せません。
城に近づくにつれて、下に街並みが見えて来ます。
坂道の西側に側柱がアーチ型で並び、その先に聖堂への入口があります。奥には鐘楼を伴った聖堂があります。
また聖堂内にはベッカルッツィの作品があるようですが、中には入れません。
14世紀末以降、ヴェネツィアの支配下で城としての重要性が減少し、修道院としての活動が活発化したようです。
聖堂の名(雪の聖母礼拝堂)は8月5日に山に雪が降った奇跡を基にしています。
4. Convent San Francesco 聖フランチェスコ修道院
チーマ広場の西端からアッカデミア通り(Via Accademia)を北上し、城のある山に向かう坂道の入り口で、山に登らずに左手にエドモンド・デ・アミーチズ通り(Via Edmondo de Amicis)を進むと聖堂の正面に出ます。
現在学校になっており、聖堂としての役割は果たしていません。
5. Oratorio dell'Annunziata 受胎告知礼拝堂
街を東西に走る9月20日通り(Via XX Settembre)の西の端にはダンテ門 (Porta Dante Alighieri)があり、東の端には有翼のライオンが描かれたモンティカーノ門(Porta Monticano)があります。
通りの名前も9月20日通り(Via XX Settembre)からB. マルコ・オンガロ通り(Via B. Marco Ongaro)に変わっています。
その東端の門の手前には方形の頑丈なロケッタ塔 (Torre della Rocchetta)が控えています。
この塔の手前で、カッレ・スコト・デイ・スコティ(Calle Scoto dei Scoti)に左折すると、小さな祠のような聖堂が左側にあります。
街を守る重要な城門には頑丈な塔と護りを祈念する礼拝堂が併存する例が多く見られます。
16世紀に建設された礼拝堂で、イオニア式の柱頭飾りのある柱を備えた堂々とした造りですが、規模としては、街のはずれのお地蔵様か、道祖神のような佇まいです。
なお、現在では廃院されており、礼拝堂としての役割は果たしていません。