パドヴァ Padova
パドヴァ (Padova)は、ヴェネト州パドヴァ県の県都。
【アクセス】
ミラノから鉄道を利用した場合、特急を利用すると2時間ほどで到着します。ヴェネツィアからは30分ほどで着きます。
城壁都市で、運河と城壁に囲まれており、現在でも城壁のほとんどが残されています。
駅は街の北の端にあり、駅前からポポロ通り(Corso del Popolo)を南に向かって運河を渡り、城門を通ってガリバルディ通り(Corso Giuseppe Garibaldi)、ガリバルディ広場(Piazza Garibaldi)、カブール通り(Via Cavour)、2月8日通り(Via VIII Febbraio)と南下して街の中心地にある、ラジョーネ(Palazzo Ragione)宮まで歩くと30分ほど掛かります。
東西より南北に広がっている街で、路面電車を活用すると便利です。
【歴史】
ローマ時代からある古い街ですが、ローマの遺跡は円形競技場(Arena)の他はほとんど残っていません。7世紀初めにランゴバルド族により街は破壊され、その後長い間街は廃墟となっていました。ヴェネツィアを建設する際に、廃墟となったパドヴァの街の石が建築資材として運ばれたことから神殿や劇場などのローマの遺跡は残っていないのです。
パドヴァが復活するのは13世紀になってからです。イタリアで一番古い、即ち欧州で一番古い大学は1088年にボローニャに設立されましたが、1222年にはパドヴァにも大学が造られました。ピエトロ・ベンボ、ガリレオ・ガリレイ、ダンテ、ペトラルカ、などの大学者が教壇に立ち、コペルニクスも学んだ大学は街の中心地にあります。1594年に造られた解剖教室があります。
13世紀の遺構の一つが、裁判所であったラジョーネ宮 (Palazzo della Ragione)で、一階部分にはアーチの並ぶ前廊の奥には色々な店が並び、二階にもアーチ型で、側壁と天井が絵画で飾られたテラスが続き、二階部分は体育館のような空間が広がっています。
内側の壁面は一面絵画で埋め尽くされています。宮殿の前のエルベ広場 (Piazza delle Erbe)は毎日市場が出て喧騒に包まれた、活気にあふれた広場です。宮殿の裏手には果物広場 (Piazza della Frutta)がありますが、果物だけでなく、衣料品も扱う店が出ています。
聖アントニウス聖堂の建設が始まったのも13世紀でした。13世紀はパドヴァの街が一番輝いた時でした。
繁栄した自由都市の時代を経て、15世紀にはヴェネツィアの支配下に入っています。
【街を歩く】
街の南の端には16世紀半ばに開設された、欧州で一番古い植物園 (Orto Botanico)があります。
ラジョーネ宮前のエルベ広場 (Piazza delle Erbe)を中心にして、街の見どころは歩いて回れる距離にあります。街の中心地には活気ある庶民の市場と学問の府が並び、探索するのに楽しい街並みが続きます。また、フレスコ画の宝庫とも言える街で、素晴らしい作品を見て回ることもできます。
大学における学問的な思考と多くの聖堂における精神的な思索が違和感なく共存している、落ち着いた街といえるでしょう。
なお、ほとんどの聖堂では内部の写真撮影は禁止されていますが、フレスコ画の保存を考えるとやむなしとすべきでしょう。また、昼休みには聖堂も閉門されますので、訪問する際は開門時間と巡る順番を考える必要があります。
【その他の情報】
パドヴァ在住の方の情報。
1. Duomo 大聖堂 (Santa Maria Assunta)
3. Cappella degli Scrovegni スクロヴェーニ礼拝堂
4. San Clemente 聖クレメント聖堂 (Santi Clemente, Daniele, e Giustina)
5. San Daniele Martire 聖ダニエレ聖堂
6. San Francesco Grande 聖フランチェスコ聖堂
9. Scuola del Santo スクオラ・デル・サント
11. San Pietro Apostolo 聖ピエトロ聖堂
以下は「パドヴァ_2 Padova_2」にページ移動します。
16. Santa Margherita di Antiochia サンタ・マルゲリータ聖堂
17. Santa Maria dei Servi サンタマリア・デイ・セルヴィ聖堂
18. Santa Maria del Calmine サンタマリア・デル・カルミネ聖堂
20. Sant'Andrea Apostolo 聖アンドレア聖堂
22. Chiesa degli Eremitani エレミターニ聖堂
1. Duomo 大聖堂 (Santa Maria Assunta)
街の中心にある、ラジョーネ宮殿(Palazzo della Ragione)前のエルベ広場(Piazza delle Erbe)から、西に狭いダニエーレ・マニン通り(Via Daniele Manin)を進んで突き当たりを左折するとドゥオーモ広場 (Piazza Duomo)に出ます。
313年にミラノ勅令によりキリスト教が承認された後の、4世紀に建設された古い聖堂です。当初の聖堂は現在右隣に建つ洗礼堂の場所にあったとされています。その後改築が行われましたが、1117年の地震で崩壊し、ロマネスク様式で再建されました。
1552年にミケランジェロに設計を依頼して、ルネサンス様式で建設が始まりましたが、17世紀になって側廊を拡張されるなど、当初の構造は大幅に変更され18世紀半ばに完成しました。
聖堂正面には三か所の扉口があり、上には小さい丸窓があるだけの非常に簡素な造りで表面は飾り石で葺いておらず、粗石のままです。
聖堂全体はギリシャ十字形が東西に二つ繋がった形をしており、手前の十字形の交差廊には八角形の塔が載り、奥の交差廊には18世紀になって鼓胴の上にドームが載る構造になっています。
縦にドームが連なる、他では見られない形態と言えます。
聖堂内は三廊式です。
中央主祭壇には現代風の塑像が彫られています。
磔刑のキリスト像も現代彫刻です。古いオルガンが向い合せに配置され、アプシスには半円形に聖歌隊席が並んでいます。
内陣の手前両脇には現代彫刻で作成された聖グレゴリウスや聖ジュスティーナの彫像が並んでいます。
右翼廊には 奇跡の聖母礼拝堂 があり、
左翼廊には 聖なる秘跡の礼拝堂 があります。
2. Battistero 洗礼堂
ドゥオーモに向かって右手に隣接しています。11世紀に建設されています。
矩形にドームが載る形で、当初は、扉口は南と西の二か所ありました。1280年に祭壇が設置され、1376年に礼拝堂が付け加えられ、内部がフレスコ画で飾られた後には現在の西側の扉口だけとなっています。
14世紀にはパドヴァの領主カッラーラ(Francesco da Carrara)が墓所としましたが、15世紀にヴェネツィアに占領されると、墓所も家紋も全て除去されています。
洗礼堂の中央には洗礼者聖ヨハネの像の載る小さな円柱形の洗礼盤が置かれています。
天井画は「神の顕現(Teofania)」で中央に荘厳のキリストが聖書を左手に右手で祝福のポーズを示し、その周囲を天使が囲んでいます。
更にその周囲を円形の虹が囲み、外側には天使が囲んでいます。その外側に三重に聖人が並び、中には聖ピエトロや聖パオロが見えます。
一番外側には、パドヴァで信仰の篤かった37人の男女の聖人が並んでいます。荘厳のキリストの真下には金の光背に聖母が立ち、周囲を天使が囲んでいます。
聖母の下には、神の天地創造から右手に「アダムとエヴァ」、「楽園と楽園追放」、「ノアの方船と洪水」、「バベルの塔」、「アブラハムと三人の天使」、など旧約聖書を題材にして描かれています。
穹隅には四大福音書記者とその表象が描かれています。極彩色のフレスコ画です。
洗礼堂の側面も全てフレスコ画で埋め尽くされています。
南面は、洗礼者聖ヨハネ伝で、「洗礼者聖ヨハネの生誕」の下には、「キリストの洗礼」の場面が描かれています。
東面には、礼拝堂があり祭壇が置かれていますが、その上面に大きな「キリストの磔刑」が描かれています。左側は「変容」で、右側は「復活」です。
東面にある礼拝堂には、メナブオイ(Giust de Menabuoi) 作の多面祭壇画が置かれています。51面に渡り多彩な場面が描かれ、中央頂点上に「キリストの洗礼」、中央に大きく「聖母子」、上段には聖フランチェスコ、聖アンブロージョなど聖人、中段は「御訪問」、「降誕」、「サロメ」、などが、最下段には聖職者が描かれています。側面には黙示録からの場面が多数描かれています。
北面は、キリストの生涯で、「降誕」、「東方三王の礼拝」、「変容」、「最後の晩餐」など9場面が描かれています。
西面は、聖母伝で、最上部に「受胎告知」が、中央には玉座に座る聖母子が、その下に洗礼者聖ヨハネが描かれています。
洗礼堂内は全面がフレスコ画で飾られており、どの面を見ても色彩鮮やかで素晴らしい作品です。時間的なゆとりを持って訪問することをお勧めします。
3. Cappella degli Scrovegni スクロヴェーニ礼拝堂
駅前からコルソ・デル・ポポロ(Corso del Popolo)を南に向かって運河を渡り、城門を過ぎると左手にローマの円形競技場の跡地の公園が見えてきます。
整理された公園内には、スクロヴェーニ礼拝堂と市立美術館、エレミターニ聖堂 (Chiesa degli Eremitani)が並んでいます (リンクをクリックすると新しいタブで開きます)。
スクロヴェーニ礼拝堂はアレーナ礼拝堂と呼ばれることがありますが、アレーナ礼拝堂は円形競技場(Arena)の場所にあることからの名称です。
銀行家エンリコ・スクロヴェーニ(Enrico Scrovegni)が父の菩提を弔うために1303年に建設した、受胎告知の聖母、に奉献された礼拝堂です。
小さな礼拝堂ですが、天井から側面まで、ジョット(Giotto)が1303/4年から1305/6年に掛けて制作した、主にキリストの生涯を題材とした作品で埋め尽くされています。
ジョットはスクロヴェーニ礼拝堂での制作に先立ち、1296年から1299年頃にアッシジの聖フランチェスコ聖堂(San Francesco)に「聖フランチェスコ伝」を描いています(リンクをクリックすると新しいタブで開きます)。アッシジの聖フランチェスコ聖堂は巨大な聖堂ですから、チマブーエやシモーネ・マルティネ他、多くの画家や工房が介入した作品が見られますが、このスクロヴェーネ礼拝堂はジョット一人が描き切っていますので、ジョットの世界を堪能することができます。
礼拝堂に入ると右側面から左側面に掛けて最上段は聖母の生涯で、「ヨアキムの神殿追放」、「アンナの受胎告知」、「聖母の生誕」、「聖母の結婚」など12面が描かれ、その下には二段になってキリストの生涯が描かれています。「降誕」、「東方三王の礼拝」、「エジプト逃避」、「洗礼」、「ラザロの復活」、「エルサレム入城」、「最後の晩餐」、「洗足」、「捕縛」、「カルヴァリオの丘へ」、「磔刑」、「哀悼」、「聖霊降臨」など22面が描かれています。
礼拝堂の正面の凱旋アーチの最上段には「大天使ガブリエルに受胎告知を命ずる神」、下段に左に大天使ガブリエルと右に聖母に分かれての「受胎告知」、その下は「ユダの裏切り」と「御訪問」の4面が描かれています。
扉口上の「最後の審判」では中央のキリストを天使が取り囲み、両脇には聖十二使徒が坐し、上には多くの天使が並んでいます。最下層部の、向かって左側には天国が、右側には地獄が描かれています。
半円筒型穹窿天井には紺碧の天空に星が輝いています。
両側面の最下段には賢明、剛毅、節制、正義、信仰、慈愛、希望、の七つの徳目と、暗愚、移り気、憤怒、不正、不信仰、嫉妬、絶望、の七つの罪源の対比がモノクロームの寓意画で描かれています。
全てが見事な作品ですから時間はいくらあっても足りません。しかし、入場には人数制限と時間制限がありますので、ゆっくりジョットを鑑賞することができないのが非常に残念です。
事前に予約しておくことが肝心です。なお、昨今は訪問者が増えてきていますので、当日、もしくは翌日に入場できるとは限りません。滞在日数に応じた対応が必要になっています。
なお、ジョットの作品としては、その他にフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂 (Santa Croce)内の「聖フランチェスコの葬儀」がありますが、1320年頃の作品で、スクロヴェーニの作品より時代は後です (リンクをクリックすると新しいタブで開きます)。
4. San Clemente 聖クレメント聖堂 (Santi Clemente, Daniele, e Giustina)
ラジョーネ宮の北側の果実広場(Piazza della Frutta)とその左側にあるシニョーリ広場(Piazza dei Signori)に挟まれた建物の一角を占めています。広場の東端に西を向いて建っています。
広場の対面にはヴェネツィア総督府の建物があり、複雑な仕掛けのイタリア最古の天文時計台 (Torre dell'Orologio)があります。
いわばパドヴァの街の中心にある聖堂と言っても良いでしょう。12世紀末に建設されたパドヴァでも古い聖堂の一つです。
小さな聖堂で、正面には一か所の扉口があり、両脇に洗礼者聖ヨハネと聖ゴンザーガ(San Luigi Gonzaga)の立像が壁龕に収まっています。
切妻屋根の上には聖クレメント、パドヴァの街の守護聖人の聖ダニエレ(San Daniele di Padova)と聖ジュスティーナ(Santa Giustina di Padova)の像が載っています。
聖堂内は単廊式です。
中央主祭壇にはフェラーリ(Luca Ferrari) 作の聖クレメントの絵が掲げられています。
右手には子どもを抱くパドヴァの聖アントニアオの立像、左手には聖母子の絵が掲げられています。
聖母子のフレスコ画はヤコポ・ベリーニ(Jacopo Bellini)1450年の作品です。
5. San Daniele Martire 聖ダニエレ聖堂
聖アントニオ聖堂 (Sant'Antonio) 前の広場 (Piazza del Santo)からカッペリ通り(Via Cappelli)を西へ進み、突き当たりのルデナ通り(Via Rudena)で左折して南下し、路面電車の通るリヴィエラ・ブジネッロ通り(Riviera Businello) 沿いの運河を渡ると、左側に聖ダニエレ聖堂の後陣が見えて来ます (リンクをクリックすると新しいタブで開きます)。
聖堂の左側面に沿って進むとウンベルト通り(Via Umbert)に突き当たります。聖堂の正面には小さな広場があり、通りから少し下がった所にあります。小さな聖堂で、中央右手に鐘楼があります。
聖ダニエレはパドヴァの街の守護聖人の聖プロスドチモ(San Prosdocimo)の助祭で168年に殉教しており、自身もパドヴァの守護聖人となっています。
17世紀の建設で、正面には一か所ある扉口の両脇に方形でコリント式柱頭飾りを付けた片蓋柱があり、左側に聖堂の模型を持った聖ダニエラが、右側に聖ジュスティーナ(Giustina da Padova)が壁龕に収まっています。
平らな屋根の中央に十字架があり、両脇に二人の聖人が載っています。聖プロスドチモと聖アントニオと思われます。
聖堂内は単廊式で、アプシスには聖母子の前の四聖人の絵が掛けられています。扉口の上にはオルガンがあります。
「聖ダニエレの殉教」、は18世紀のザンキ (Antonio Zanchi) 作で、蒲鉾天井の両脇には19世紀のセバスティアーノ(Sebastiano Santi)作の「聖ダニエレの聖遺物移遷」のフレスコ画が掲げられています。
聖ダニエレの聖遺物が埋葬されています。
6. San Francesco Grande 聖フランチェスコ聖堂
ラジョーネ宮の前のエルベ広場から東に進み、通りの名前がサン・カンツィアノ通り(Via San Canziano)からフランチェスコ通り(Via San Francesco)に変わり、左にパドヴァ大学(Università degli Studi di Padova)を過ぎてロマーニ通り(Rivierea dei Ponti Romani)を越え、アンテノーレ広場 (Piazza Antenore)にあるアンテノーレの墓 (Tomba di Antenore)を右に見て、さらに300mほど進むと聖堂の正面に出ます。
狭い通りで、両側にポルティコが続きますが、右側でひときわ古く、アーチを支える細い柱のポルティコの続く建物が聖フランチェスコ聖堂です。よく見ていないと通り過ぎてしまう恐れがあります。
1416年から建設を開始し16世紀になって拡張されています。ゴティック様式の大きな聖堂ですが、通りからは全体像は見られません。修道院と病院が併設された複合施設となっています。
聖堂内は当初はラテン十字形でしたが、現在では三廊式になっています。両側に礼拝堂が並ぶ大きな聖堂です。
中央主祭壇にはヴェロネーゼ (Paolo Veronese) 作の「聖母被昇天」が掲げられ、右側廊の礼拝堂には16世紀制作の、聖母の礼拝堂(Cappella di Santa Maria della Carita)のほか、聖心礼拝堂 (Sacra Cuore)、17世紀制作の、聖フランチェスコ聖痕礼拝堂などが並び、左側廊にはドナテッロの弟子でパドヴァ出身のベラーノ(Bartolomeo Bellano) が15世紀に作成した記念像の他、多くの作品が並んでいます。
長く伸びた内陣の左手奥に鐘楼があります。
公式Webサイト:https://sanfrancescogrande.it/
上記Webサイトの「Convento(修道院) di San Francesco a Padova」には、多数のフレスコ画が掲載されています。
7. San Gaetano 聖ガエターノ聖堂
ローマの競技場跡のアレーナ庭園 (Giardini dell'Arena)から、エレミターニ聖堂 (Chiesa degli Eremitani) に沿ってエレミターニ広場 (Piazza Eremitani)からエレミターニ通り(Via Eremitani)を南下し、アルティナーテ通り(Via Altinate)に左折して進むと左手に見えて来ます (リンクをクリックすると新しいタブで開きます)。
聖堂は12世紀に建設され、当初は聖シモーネと聖ジューダ (Santi Simone e Guida)に奉献されていましたが、後には聖フランチェスコ小聖堂と呼ばれていました。
更に、後にパウロ4世教皇となる、テアティニ (Teatini) 派のカラファ枢機卿の指導の下で聖ガエターノに奉献して聖堂名は変更されています。
1571(1574)年からスカモッツィ(Vincenzo Scamozzi)の設計によりルネサンス様式で建設されています。
聖堂正面には聖ピエトロをはじめ四人の聖人像が壁龕に納められています。
聖堂内は正方形のドームになっており、バロック様式の絵画で飾られています。
なお、聖堂の左手と奥の修道院部分は現在文化センター(Centro Culturale Altinate San Gaetano)として、市立図書館や展示場になっています。
8. San Giorgio 聖ジョルジョ聖堂
聖アントニオ聖堂 (Sant'Antonio) 前の広場 (Piazza del Santo)に面しています (リンクをクリックすると新しいタブで開きます)。
1379年から1384年にかけて、ソラーニャ伯のルーピ (Lupi)家の菩提寺として建設された礼拝堂です。
中央に一か所扉口があり、その上には聖ジョルジョが龍を退治しているかなり摩耗の進んだ浮彫があり、片蓋柱が挟む間には紋彰の付いた盾と兜がセットになった浮彫が見えます。
聖堂内は単廊式で、蒲鉾天井の小さな礼拝堂です。
正面はジョットの追随者である、アルティキエロ(Altichiero da Zevio)1380年作、キリストの磔刑が描かれています。
場面はカラヴァリオの丘の上で、崩れ落ちる聖母、磔刑の状況を見守る多くの群衆、それにキリストの両脇には盗賊の磔刑までが描かれています。
扉口の内側の最上段には「受胎告知」、左上に「降誕」、右上に「東方三王の訪問」、左下に「エジプト逃避」、右下に「神殿奉献」、のキリストの幼年時代が描かれています。
右側面中央上には「アレキサンドリアのカテリーナの殉教」が見られますが、この側面は聖カテリーナと聖ルチアの生涯が描かれています。
左側面は聖ジョルジョの生涯が描かれ、一番手前の上は、「聖ジョルジョの龍退治」が、下の中央には「聖ジョルジョの殉教」が描かれています。
全ての面はフレスコ画で飾られています。色鮮やかに残っている場面と、剥離している部分がありますが、見事な作品です。
隣接してスクオラ・デル・サント(Scuola del Santo)があります。
9. Scuola del Santo スクオラ・デル・サント
聖アントニオ聖堂 (Sant'Antonio)前の広場にある、聖ジョルジョ聖堂(San Giorgio)に隣接しています (リンクをクリックすると新しいタブで開きます)。聖アントニオの大信心会(Arciconfraternita di Sant'Antonio di Padova)は聖アントニオが死後、列聖されて間もなく設立された会で、この会派が寄進を募り、15世紀に建設しています。
正面には一か所の扉口があり、片蓋柱が切妻式屋根まで伸びていますが、一層部分にも切妻屋根の形があり、二階建であることを強調しているかのようです。
屋根の上には聖アントニオ他三人のフランシスコ派の僧の立像が載っています。
二階部分は広い会場になっており、全ての面は絵画で埋められています。特に16世紀初頭のフレスコ画の作品が多く残されています。
会館に入場するには、隣の聖ジョルジョ聖堂の管理者に依頼する必要があります。
ティティアン(英語:Titian、伊語:Tiziano Vecellio)は「キリストが聖母の無原罪を示す」他、三枚を1511年に描いています。他にはカンパニョーラ(Domenico Campagnola)1533年作の「聖フランシスコと聖アントニオ」などが見られます。
10. San Nicolò 聖ニコロ聖堂
シニョーリ広場 (Piazza dei Signori)の西端からダンテ・アリギエーリ通り(Via Dante Alighieri)を北上し、広いミラノ通り(Corso Milano)に出る一つ手前のサン・ニコロ通り(Selciato San Nicolò) に左折すると、聖堂の左側面を通って聖堂前の広場に出ます。
聖堂は11世紀にバリの聖ニコロ (San Nicolo de Bari)を奉献してロマネスク様式で建設されています。聖人の聖遺物も収容されています。
地域密着型の聖堂として、多くの富裕層により維持されてきた聖堂です。
聖堂は中央一か所に扉口があり、上には丸窓がありますが、この聖堂の特徴は、扉口の右側に隣接する高いゴティック様式の鐘楼です。
聖堂の大きさに不釣り合いな高さと大きさを誇っています。
聖堂内は三廊式で、洗礼盤や祭壇画の多くは15世紀のものです。
11. San Pietro Apostolo 聖ピエトロ聖堂
シニョーリ広場 (Piazza dei Signori)の西端にある時計塔(Torre dell'Orologio)を抜けて、パトリアルカート通り(Via Patriarcato)を進み、フェッロ橋 (Ponte di Ferro)の手前でサンピエトロ通り(Via San Pietro)に右折すると右手にあります。聖堂の前には広場はありません。
伝承では4世紀からの祠が礼拝堂になり、11世紀にはベネディクト派の女子修道院として拡張されてきたとされる、パドヴァでも由緒ある聖堂です。今日でも司教座を有する大聖堂とは別に、主席司祭の聖堂として重要な地位を占めている聖堂です。
14世紀にルネサンス様式で再度拡張されています。西廊の脇には回廊があり、現在では聖ドロテア女子修道院(Istituto Suore Santa Dorotea)になっています。