トレヴィーゾ Treviso
トレヴィーゾ (Treviso)は、ヴェネト州トレヴィーゾ県の県都。
【アクセス】
鉄道の駅は城壁の外側に位置し、街の南の端にあります。ミラノから鉄道を利用した場合、特急を利用すると2時間半ほどで到着します。ヴェネチアからは30分ほどで着きます。
【歴史】
ローマ時代には多くの街道が建設されています。ローマから南下してアドリア海に面したブリンディシ (Brindisi)まで延びるアッピア街道や、ピアチェンツァ (Piacenza)から東に向かいポー(Po)川の流れに沿ってリミニ (Rimini)まで伸びるエミリア (Emilia)街道など四方八達にわたり街道が建設されていました。
ポスツゥミア街道(Via Postumia)もその一つで、ジェノヴァ(Genoa)からピアチェンツァを経由し、アクィレイア(Aquileia)に至る街道です。トレヴィーゾはこの街道に近いる街として古くからある街です。しかし、街中にはローマの史跡はありません。
現在の大聖堂やシニョーリ広場 (Piazza dei Signori)がある周囲はロッジャ運河 (Cagnan della Roggia)とブラネッリ運河 (Canale dei Buranelli)で囲まれた中洲のような地域で、この地から街が始まっています。
西ローマ帝国の滅亡後は、ビザンティン帝国の総督府があったラヴェンナに支配され、次いでロンゴバルド王国の支配を経ています。
12世紀にはロンゴバルド同盟に属して神聖ローマ帝国と戦い、平和条約締結後はカミノ家(Da Camino)の元で、繁栄を築いています。街の発展に従い、東側が拡張されて、現在の東西に流れるカニャン運河 (Cagnan Grande)にまで広がっています。運河には島になっている魚市場 (Isola della Pescheria)があり、街の台所になっています。
シニョーリ広場にある、トレチェント宮 (Palazzo dei Trecento)は現在市庁舎と議会場になっていますが、13世紀の建設で、名前の通り300人が入れる広さの会議場です。騎士の館(Loggia dei Cavalieri)も13世紀に建設されたロマネスクとビザンティン様式の混合した建物です。
その後、近隣のパドヴァ(Padova)のカッラーラ家(Carrara)やヴェローナ(Verona)のスカルゲリ家(Scaligeri)などの有力な領主との抗争に消耗し、14世紀半ばにはヴェネチア共和国の支配を受けるようになっています。
14世紀になると更に街全体が膨張し、16か所に城門が建設されていますが、現在ではその門は道路の拡張により撤去されて、ほとんど見ることができません。
16世紀になって、街は西に拡張され、ほぼ現在の長方形の城壁が囲む市街ができ上がっています。周囲には稜堡が各所に配置されています。この時に城内に入場する門は3か所に絞られています。
街の西北にある聖クアランタ門(Porta Santi Quaranta)は14世紀に建設された城壁の際に設置されましたが、16世紀に街が拡張された時に、従来の場所から西に100mほど移動されています。パドヴァやヴィチェンツァ(Vicenza)に通じる道を守る門で、外側には聖マルコを表象する翼の付いたライオンの浮彫が施されています。街がヴェネチアの支配下にあったことを示しています。
街の東北にある聖トマソ門 (Porta San Tomaso)は堅牢で見事な造りの大きな門ですが、同じように外側には翼の付いたライオンの浮彫が施されています。東南にはアルティニア門 (Porta Altinia )を配していました。
【街を歩く】
市街は東西1km、南北600mほどの長方形の街ですから、どこに行くにも歩いて回ることができます。周囲は川と運河で囲まれており、街中には運河が流れ、川のせせらぎの聞こえる長閑で落ち着いた歴史ある街です。
なお、ベネトン (Benetton)やジオックス (Geox)、デロンギ (De'longhi)などイタリアの有名ブランドの本部がある街です。
1. Duomo 大聖堂 (San Pietoro Apostolo)
シニョーリ広場 (Piazza dei Signori)から西にカルマッジョーレ通り(Calmaggiore)を進むと大聖堂の左側面に独立して聳える鐘楼を経由して、大聖堂前の広場 (Piazza del Duomo)に出ます。
6世紀に建設されていたとされる聖堂は、12世紀になってロマネスク様式で再建されています。現在の聖堂は18世紀半ばに新古典様式で建設されています。正面は19世紀に付け加えられ、六本のイオニア式の円柱が前面に張り出して三角形の破風を支えるパンテノン神殿の様な聖堂です。ドームが3か所載っています。
聖堂内は三廊式で広々しており、左右に三か所の礼拝堂と祭壇があります。
この聖堂ではティティアン(Titian)の1520年作、「受胎告知」が収められたマルキオストロ礼拝堂 (Cappella del Malchiostro)が重要です。
地下聖堂にはフレスコ画が残っており、12世紀の当時の聖堂の趣を残しています。
隣接する博物館 (Museo diocesano)にはモデナ (Tommaso da Modena) の「キリスト」、パルマ(Palma il Vecchio)の「聖母子と聖人」、ベッカフーミ (Domenico Beccafumi)1540年作「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」の他、聖遺物容器などが展示されています。
2. Battistero 洗礼堂
大聖堂の北隣にあり、カルマッジョーレ通り(Calmaggiore)に面しています。
11世紀に洗礼者聖ヨハネ聖堂として建設され、13世紀初期に地震で崩壊した後、数度にわたり建設されてきました。ロマネスク様式の聖堂で、正面には浮彫彫刻が一部残っています。後陣左手に小さな鐘楼があります。
その後19世紀になって聖堂の正面が改修され、20世紀には北側面の改造が行われています。現在では洗礼堂として利用されています。
聖堂の正面には一段高い位置に扉口があり、前には階段があります。切妻屋根の小さな聖堂ですが、背後に大聖堂の大きな鐘楼が接続しているので、鐘楼の付属施設のようにも見え、非常に奇妙な形態になっています。
3. San Francesco 聖フランチェスコ聖堂
シニョーリ広場の北東にある、魚市場島(Isola della Pescheria)でカニャン運河(Cagnan Grande)を渡り、東側からパリシオ通り(Via San Parisio)を北上すると聖堂の右側面が見えてきます。
聖堂の前には広場は無く、聖堂には右側面の扉口から入場します。
13世紀初期にフランチェスコ派が祠を献堂することをカミノ家(Da Camino)により許可されると、急速に信徒が増えて聖堂建築が始まり、13世紀末には完成しています。トレヴィーゾの有力な一族からの支援を得て、それぞれの家の菩提寺となっています。
18世紀のナポレオンのイタリア侵攻の際には軍隊の厩として利用されていました。20世紀になって聖堂として復活しています。
聖堂はゴティック様式で、正面には一か所の扉口があり、その上のティンパヌムには聖母子と聖フランチェスコと思われる剥離したフレスコ画が見られます。
上には丸窓があり、両脇の片蓋柱が切妻屋根まで伸び、屋根に沿ってアーチ型の模様が並んでいます。
右側面の奥に鐘楼があります。
聖堂内は変形の二廊式で、正面に3か所の祭壇と右側廊の祭壇で、計4か所並んでいます。
中央主祭壇には司祭席とキリストの磔刑が置かれています。
アプシスの天井には福音書記者が描かれ、奥の窓ガラスから採光されています。
主祭壇の左側のジャコメッリ祭壇(Giacomelli)に、モデナ(Tommaso da Modena) の描く聖母子と聖ロレンツォ・聖カテリーナ・洗礼者聖ヨハネ・聖ルイ、など7人の聖人が並んだフレスコ画があります。
なおその左に左側壁を拡張した部屋にも主祭壇と並んで祭壇があるので、祭壇は合計5か所あるように見えます。この祭壇(Rinaldi)にも聖母子と聖人のフレスコ画があります。
また間の柱にはモデナの工房による聖クリストフォロスが描かれています。
この左側面の部屋にトレヴィーゾで逝去したダンテの長男(Pietro Alighieri=1364年没)の墓があります。
右側廊には祭壇が並んでいますが、その一つのリタ祭壇(Santa Rita)にはモデナの工房作の聖母子と聖クリストフォロスと聖フランチェスコのフレスコ画があります。また、ペトラルカの娘(Francesca Petrarca=1384年没)の墓があります。
一方、左側壁には12世紀作の聖クリストフォロスと聖痕のある聖フランチェスコのフレスコ画があるだけです。
回廊には石棺が置かれており、地元の富裕層に密着していた聖堂であることが分かります。
4. San Gaetano 聖ガエタノ聖堂
シニョーリ広場からインディペンデンツァ通り(Via Indipendenza)を東に向かい、騎士の館 (Loggia dei Cavalieri)で左折してリベルタ通り(Via Martiri della Libertà)を進むと右手に聖レオナルド聖堂 (San Leonardo) が見えてきます。
そのままサンレオナルド通り(Via San Leonardo)を進み、カニャン運河(Cagnan Grande)を渡って直ぐの、アルベルト通り(Via Carlo Alberto)に右折して150mほど進むと、左手に聖堂前の広場が出てきます。
13世紀にテンプル騎士団の館として建設されています。聖堂の後陣は半円筒形になっており、ロマネスク様式の名残を見ることができます。
14世紀にクレメント5世教皇により、テンプル騎士団が解散させられたのちは、マルタ騎士団に属することになりました。
16世紀になって再建されています。聖堂の正面には一つの扉口があり、その上には丸窓があるだけの小さな聖堂です。屋根に十字架が載っていなければ正面から見た限りでは民家と間違えられる造りです。
聖堂内部の動画 (29秒:Google StreetViewより)
5. San Leonardo 聖レオナルド聖堂
シニョーリ広場からインディペンデンツァ通り(Via Indipendenza)を東に向かい、騎士の館 (Loggia dei Cavalieri)で左折してリベルタ通り(Via Martiri della Libertà)を進むと、右手に噴水のある聖堂前の広場に出ます。聖堂の前の建物はトレヴィーゾの名士スピネダ家 (Casa Spineda)の館で史跡になっています。小さな聖堂です。
14世紀に聖レオナルドを冠した名の病院があり、その後聖堂に改造されてきた経緯があります。
16世紀に全面的に改造され、19世紀にも改築されています。なお正面は20世紀になって切妻屋根の前面を18世紀の形態に戻して修復しています。1811年に聖ミカエル聖堂が解体されたために、その祭壇が搬入されています。
聖堂の正面には一か所の扉口があり、その上の壁龕に十字架を担うキリスト像が収められています。
聖堂内はバロック様式で改装されています。単廊式で、主祭壇には聖ロレンツオ他の聖人が描かれ、左には聖ミケーレの絵が掛けられています。
左右の側壁には二か所の祭壇があり、右側の祭壇にはチーマ (Cima da Conegliano)工房が作成した聖母子と聖人の三面画が掲げられています。
左側壁の中央には説教壇があります。
天井には聖ロレンツォの昇天が描かれています。
6. San Nicolò 聖ニコロ聖堂
街の西南に位置し、14世紀に建設された城壁の最西端部にあり、シーレ川(Il Sile)と運河で区切られた城壁の内側にあります。
鉄道の駅前からは、北西に伸びるアルチデ・デ・ガスペリ通り(Viale Alcide de Gasperi)を進み、シーレ川を渡ると、右手にヴィットリア広場(Piazza Vittoria)出てきます。そこでサンニコロ通り(Via San Nicolo)に突き当たるので、左折して進むと左手に大きな聖堂が見えてきます。長さは88mを超え、トレヴィーゾの大聖堂よりも大きく、広い回廊を維持しています。
聖堂は開放されている時間帯が制限されており、事前の確認が必要です。
1231年に、ドメニコ派の聖堂として建設されています。その後巨額の資金を得て拡張を続け、ロマネスク・ビザンティン様式とフランス・ゴティック様式を融合させた造りになっています。
194代ローマ教皇となったベネディクト11世(1303年)はこの聖堂の出身者です。
聖堂内は三廊式で、身廊には聖十二使徒を表す太い十二本の円柱が天井を支えています。
左右の側廊には祭壇が5か所あり、主祭壇の両脇に二か所の祭壇を持つラテン十字形の聖堂です。
中央主祭壇には玉座の聖母子とその下に聖人が描かれた絵が掲げられています。
アプシスには天井までの高い窓があり、光を聖堂内に取り入れています。
右側廊の高い位置に置かれたオルガンにはベネディクト11世教皇の生涯が描かれています。
周辺に聖母子と聖人などのフレスコ画が見られます。その隣には天井まで届く大きな聖クリストフォロ (San Cristoforo)が描かれています。
この聖堂で注目すべきは太い柱に描かれたフレスコ画です。
右側の柱の最初には大天使ミカエル、二番目に聖ヒエロニムス、三番目にはモデナの追随者作の聖クリストフォロスと聖ニコロ、四番目には聖カテリーナが描かれています。
左側の柱の最初は聖母子と聖人、二番目はモデナ(Tomaso da Modena)作の聖ロムアルド(San Romuald)、聖ジロラーモ(San Girolamo)、そして聖アグネスと洗礼者聖ヨハネ(Santa Agnese e San Giovanni Battista)が描かれています。三番目は聖ニコロと聖母子、四番目は聖フランシスコと聖ドメニコが描かれています。
なお、聖堂をいったん出て右側面に接する回廊に進み、二番目にある部屋(Chapter house)に入ると、キリストの磔刑図とともに、モデナが1351年に作成した歴代のドメニコ派の聖職者の肖像画が並んでいます。
185代ローマ教皇のインノケンティウス5世(1225年)やベネディクト11世教皇の他に、書物を読みふける枢機卿や机に向かい筆を走らせる聖職者が軽快な筆致で描かれています。その中の一人に、ウーゴ枢機卿(Hugues de San Cher)がいますが、この枢機卿は眼鏡を掛けて描かれた、最初の人物とされています。
7. San Teonisto 聖テオニスト聖堂
聖ニコロ聖堂 (San Nicolo) の西隣にあり、正面はサンニコロ通りに面して北面しています。
12世紀初めに建設された聖テオニスト修道院の付属施設でしたが、15世紀に女子修道院となり、大勢の修道女が集まっていました。ナポレオンのイタリア侵攻時に廃院にされています。
第2次大戦で大破し放置されていましたが、20世紀になってベネトンによって改修されています。
現在では音楽堂や会議場として使用されており、聖堂としての役割は果たしていません。
なお、東隣は教区音楽学院になっています。修道院部分は女学校になっているようです。
内部の様子はこちら↓から見られます。
https://www.fbsr.it/la-fondazione/chiesa-san-teonisto/
8. San Vito 聖ヴィート聖堂
シニョーリ広場の北側にあり、市街の中心地にある聖堂です。トレチェント宮 (Palazzo dei Trecento)の裏手に回り、サンヴィート通り(Via San Vito)からムニチピオ通り(Via Municipio)に右折すると、道の左側に道路に張り出して五つのアーチが並ぶ柱廊が見えてきます。
この柱廊の並んでいるところが聖堂です。なお、その柱廊のある建物の手前を見ると聖ルチア聖堂 (Santa Lucia)であることが分かります。聖ヴィート聖堂と聖ルチア聖堂は建屋が隣接しているだけでなく、聖堂内でつながっています。
ムニチピオ通りをさらに進むと、噴水の先に聖ヴィート広場(Fontana di Piazza San Vito)という名前の広場があるので、聖堂はその広場に面していると誤解されがちです。
また広場に沿ったカンパーニャ通り(Via Campana)を進むと、トレヴィーゾの街ができた時の最初の市街を囲むブラネッリ運河 (Canale dei Buranelli)に行き着きます。
込み入った場所にあり、聖堂の正面には広場もなく聖堂前の狭いポデスタ通り(Vicolo Podesta)を進むと屋敷の中に入り込み、史跡で、街のシンボル的な噴水(Fontana delle Tette)に行き着きます。
聖堂の正面は西面しており、一か所の扉口がありますが、その右にピエタ像が壁龕に収まっています。
聖堂には側面の柱廊から入場します。または隣接する聖ルチア聖堂から入場することもできます。
貧者や巡礼者、病人を世話する救済院を併設する聖堂として、9世紀末には存在していた聖堂で、11世紀、12世紀に改築され、1561年に再建されています。
その際に側面に柱廊が付けられて鐘楼も加わりました。鍛冶屋・ワイン商・火薬商・銅製品製造者などのギルドの支援する聖堂として、繁栄していました。
聖堂は三廊式で、主祭壇にはバロック様式の大理石の柱の並ぶ祭壇が置かれ、中に聖母子を仰ぎ見る三聖人の絵が掛けられています。
左側廊は通りに沿い窓ガラスで、右側廊に祭壇が並んでいます。
天井にはザンキ(Antonio Zanchi)17世紀作の聖母戴冠 (Incoronazione della Vergine)が描かれています。
正面の扉口の内側にはオルガンが設置されています。
主祭壇の右には救世主の礼拝堂 (Cappella del Redentore)があり、中央にキリスト、左右に二人ずつ、側面に四人ずつ合計十二人の聖使徒が描かれ、天井には天の子羊が描かれています。ビザンティン様式で描かれたフレスコ画が色彩鮮やかに残されています。
なお、この礼拝堂をくぐると接続する聖ルチア聖堂に入場できますが、どちらの聖堂も入場時間に制限がありますので以下の公式サイトで確認してください。
公式サイト「Chiesa di Santa Lucia e San Vito」トップページに開館時間が掲載されています(2024年12月現在)。
http://www.santaluciatreviso.it/ (今どき"https"でないのは珍しいですね)
上記サイトの「Arte in San Vito」ページと「Foto San Vito」ページには聖堂のレイアウト図、内部の写真などが掲載されています。
9. Santa Caterina dei Servi di Maria 聖カテリーナ聖堂
シニョーリ広場から東に向かい、騎士の館 (Loggia dei Cavalieri)で左折してリベルタ通り(Via Martiri della Liberta)を進むと噴水のある聖レオナルド聖堂 (San Leonardo)前の広場に出ます。
そのまま進んでカニャン運河(Cagnan Grande)を渡り、サンタ・カテリーナ通り(Via Santa Caterina)を進むと突き当たりに市立博物館(Musei Civici di Treviso)があります。この市立博物館に接続して左側に聖堂があります。
聖堂の前には広場は無く、サンタ・キアラ通り(Via Santa Chiara)になっています。なお、聖堂は現在美術館 (Museo Santa Caterina)になっており、聖堂には市立美術館から入場します。
現在市立博物館となっている館は、13世紀末にカミノ家 (Da Camino)の宮殿として建設されました。14世紀になると聖母マリアの使僕会により修道院となりましたが、併設してアレキサンドリアの聖カテリーナを奉献して設立されたのがこの聖堂です。聖母マリアの使僕会の修道院は変遷を経て、市立博物館となりました。
聖堂内は単廊式で、祭壇は三か所あります。側壁には剥離したフレスコ画が部分的に残っており、受胎告知、聖母子と聖人、聖エリジョ(Sant'Eligio)の奇跡、などが見られます。
なお、聖堂を手にした聖カテリーナ、はモデナ(Tommaso da Modena)の作品です。
この聖堂の主祭壇にはモデナ作の聖オルソラ(Sant'Orsola)の生涯を表すフレスコ画が収められていました。
主祭壇には聖母子、聖オルソラの栄光、キリストの磔刑が縦に描かれており、左側面には受胎告知の下に聖オルソラのイングランドからの出発、聖オルソラと11000人の処女のローマへの出帆、聖オルソラとローマ教皇との面談、ローマからの出帆、ケルン到着など6枚のフレスコ画が縦二列に並び、右側面には、聖オルソラの許嫁の洗礼、ローマ教皇の夢、など4枚と一番下には倍の大きさのある聖オルソラと11000人の処女の殉教、の画面がありました。
現在これらのフレスコ画は壁から剥がされて、聖堂内に展示されています。すべてが完全な状態ではなく、作品の一部のみのものもありますが、モデナの傑作を目近に見ることができます。
聖堂の正面の右手に15世紀初頭に付け加えられた、無原罪の礼拝堂 (Cappella degli Innocenti)にはフレスコ画が良く残されています。
祭壇には受胎告知を始めとする聖母伝とエジプト逃避、キリストの磔刑、聖セバスティアンが描かれ、天井には中世の四大教父と福音書記者の表象が絵描かれています。
市立博物館にはベリーニ(Giovanni Bellini)と工房の1475年作の聖母子像、チーマ(Cima da Conegliano)1505年作の聖母子像の他多くの作品が収容されています。
10. Santa Lucia 聖ルチア聖堂
シニョーリ広場の北側にあり、トレチェント宮(Palazzo dei Trecento)の裏手に位置しています。詳細は隣接している聖ヴィート聖堂 (San Vito)をご覧ください。
14世紀の半ばに聖ヴィート聖堂に隣接させて、街の公共施設としての建物を建設し、二階を会場とし、一階部分を祈りの場としました。
1389年にトレヴィーゾがヴェネチアの支配下に入った時に、一階部分を聖ルチア聖堂としています。建物は百年後にモンテ・デ・ピエタ (Monte di Pieta)の管理下に入り、16世紀半ばに聖ヴィート聖堂の二階部分までに拡大された時、二つの聖堂を合体させて聖堂の形態を重視して改築されています。
なお、聖ヴィート聖堂の脇にあった牢獄の聖母礼拝堂 (Cappella di Santa Maria delle Carceri)と呼ばれた小さな祠は聖ルチア聖堂内に吸収されています。
サンヴィート通り (Via San Vito)からは聖堂の正面しか見えず、扉口が一つだけの聖堂です。
聖堂内は三廊式で、外観からは想像ができないほどの広さがあります。
主祭壇は14世紀に描かれたフレスコ画の前に聖ルチアの石の浮彫彫刻が置かれ、その前を囲むヴェネチアからもたらされた石造の欄干には小さな聖人の胸像が載っています。
左側の祭壇には聖クリストフォロスと聖ジャコモの石の浮彫彫刻が掛けられ、右側の祭壇には蝶々の聖母(Madonna del Paveio)と呼ばれる石の浮彫彫刻が掛けられています。
聖堂に入って右側廊の最初のキリストの磔刑礼拝堂(Cappella del Crocifisso)には聖母子・キリストの磔刑・ベロニカ・聖人達がフレスコ画で描かれ、左側面の聖人はモデナ(Tommaso da Modena)の作と見なされています。
礼拝堂の左の柱には聖クリストフォロ (San Cristoforo)が描かれています。
円柱が色彩鮮やかなボールト天井を支えており、天井は青天に金の星がちりばめられています。側面にもフレスコ画が部分的に残されています。
聖堂の奥の右側面から隣接する聖ヴィート聖堂に入ることができます。
公式サイト「Chiesa di Santa Lucia e San Vito」トップページに開館時間が掲載されています(2024年12月現在)。
http://www.santaluciatreviso.it/
今どき"https"でないのは珍しいですね。
上記サイトの「Santa Lucia」ページと「Foto Santa Lucia」ページには聖堂のレイアウト図、内部の写真などが掲載されています。