トレヴィーゾ_2 Treviso_2

11. Santa Maria Maddarena サンタマリア・マッダレーナ聖堂

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 カニャン運河(Cagnan Grande)の東側にあり、街の北東に位置する、聖カテリーナ聖堂 (Santa Caterina dei Servi di Maria) の左側面に沿って狭いコミネジ通り(Vicolo Caminesi)を進むとスタンガデ通り(Via Stangade)に出ます(リンクをクリックすると新しいタブで開きます)

 

 道を北上して、狭いリコヴェロ通り(Via Casa di Ricovero)に入り、そのまま進むと聖堂前に出ます。街を囲む城壁の北東の端に位置しています。

 

 トマソ門 (Porta San Tomaso)は聖堂の裏手に当たり、すぐ近くです。

 

 16世紀に建設された聖堂で、修道院を併設していました。右奥の鐘楼はゴティック様式です。

 

 聖堂の正面には中央に扉口があり、上にはマッダレーナのマリアがフレスコ画で描かれています。両脇の片蓋柱が切妻の屋根まで伸び、両脇にある窓は淡いフレスコ画で飾られています。非常に簡素な造りです。なお、正面の造りは聖ガエタノ聖堂 (San Gaetano) に似ています(リンクをクリックすると新しいタブで開きます)

 

 

 聖堂内は単廊式です。

 

 

 主祭壇には聖母被昇天の下に、キリストがマッダレーナのマリアに、我に触れるな、と制する場面 (Noli me Tangere)が描かれています。

 

 

 左手の祭壇にはヴェロネーゼ(Veronese)1580年作、キリストの磔刑の絵が置かれています。

 

 

 

 両側面に二か所ずつ礼拝堂が配置され、その間には病人を癒すキリスト、カナの婚礼などの大きな絵があります。

 

 

 

 

 

 扉口の内側にはオルガンがあります。

 

 小さな聖堂ですが、簡素な外観と異なり、聖堂内はバロック調の華やかな聖堂です。

12. Santa Maria Maggiore サンタマリア・マッジョーレ聖堂

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 シニョーリ広場からインディペンテンツァ通り (Via Indipendenza)を東に向かい、リベルタ通り(Via Martiri della Liberta)に左折して進み、通りの名前がサンレオナルド通り (Via San Leonardo)に変わり、聖レオナルド聖堂 (San Leonardo)を右手に見て、カニャン運河 (Cagnan Grande)を渡って、次のカルロ・アルベルト通り(Via Carlo Alberto)に右折して進み、聖ガエタノ聖堂 (San Gaetano)を左に見て、さらに200mほど進むと右手に聖堂が見えてきます(リンクをクリックすると新しいタブで開きます)。市街の東南の端に位置しています。

 

 聖堂正面の右手前には独立して大きな鐘楼があります。

 

 

 伝承ではパドヴァの初代司教であった聖プロスドチモ(San Prosdocimo)が開祖とされています。異教の神殿跡に造られたとの説もありますが、聖堂の歴史は3世紀ごろまで遡ると見なされています。

 

 

 9世紀にマジャール人の襲撃で破壊された後、11世紀になって再建され、15世紀には現在の聖堂になったとされています。トレヴィーゾで一番古い聖堂の一つです。  

 

  15世紀にはリビアの殉教者で、ヴェネチアで重んじられた、聖フォスカ(Santa Fosca)に奉献した聖堂でした。

 

 現在では17世紀になって列聖された、15世紀の聖エミリアーニ(San Gerolamo Emiliani)が始めた、貧者の下僕会(Congregazione dei Padri Somaschi)が主催する聖堂となっています。

 

 地元ではマドンナ・グランダ(Madonna Granda)聖堂と呼ばれています。

聖堂左側壁
聖堂左側壁

  聖堂の正面には扉口が三か所あり、その上には丸窓があります。屋根は緩やかな曲線を描いており、上には5か所、小さな尖塔が載っています。

 

 聖堂内は三廊式です。

 

 

 一段高くなった中央主祭壇にはオルガンの前に聖母被昇天の絵が掛けられています。

 

聖母被昇天
聖母被昇天

 

 中央左祭壇の左奥に接続する洗礼堂には、フィウミチェッリ (Lodovico Fiumicelli) 作の東方三王の礼拝・最後の晩餐・復活などのフレスコ画が残っています。

 

 右側廊にはキリストの磔刑の祭壇と説教壇があります。

 

 

 

 左側廊の中央には聖母子の祭壇があり、玉座の聖母の膝の上で幼子キリストが両手で祝福を与える絵が掛けられています。

 

 

 その前には、彩色された大理石の柱が四方を囲む大きな枠組みが、左側廊を塞ぐ状態で設置されています。側廊に礼拝堂が設置されたような形態になっています。

 

13. Sant'Agnese ai Santi Quaranta サンタニェーゼ聖堂

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 聖堂はカブール通り(Borgo Camille Benso Conte di Cavour)に面しており、北面しています。街の西北に位置しています。

 

 小さな聖堂で、正面の扉口の両脇にコリント式の片蓋柱が三角形の破風を支えており、屋根の上には三体の聖人像が載っています。

 

 

 1268年に建設されています。当時は城壁の外に位置していました。その後14世紀に街の拡張に伴い新たに築かれた城壁が、16世紀になって更に街を拡張するために西に延長されたため、聖堂は城壁内に入ることになりました。

 

 14世紀の城壁の当時からあった門の一つ、聖クアランタ門(Porta Santi Quaranta)も16世紀の城壁の延長に伴い、パドヴァ(Padova)やヴィチェンツァ(Vicenza)に通じる道を守る門として、西に移動されています。

 

 

 13世紀半ばに聖アグネスに奉献して建設された聖堂は、16世紀にヴェネチアとの戦闘により破壊されますが、周辺の建屋と統合されて存続していました。

 

 その敷地内に1613年に新たに、4世紀初めにアルメニアで殉教した40人の兵士を奉献して、聖クアランタ聖堂(Santi Quaranta)が建設されました。

 

 その後18世紀になって聖アグネス聖堂の資産は大聖堂に没収されて、聖クアランタ聖堂に合体されました。なお、聖堂名は変更されて現在の名称になっています。

 

 

 聖堂内は単廊式で、中央主祭壇の両脇の壁に取り付けられた隅造りがあり、オルガンが収められています。

 

 

 奥のアプシスには聖歌隊席が半円形に並び、その上には両脇に天使の彫刻が施された大理石のバロック様式の祭壇があり、40人の殉教者の絵が収められています。18世紀に制作されたものです。

 

 両側には二か所ずつ礼拝堂があり、聖アグネスの殉教、ピエタ像などの作品が収められています。

 

 

 

 なお、通りの反対側には街を代表する、ルイージ・バイロ市立美術館(Museo Luigi Bailo Galleria Novecento)があります。

 

 

14. Sant'Agostino 聖アゴスティノ聖堂

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 シニョーリ広場からインディペンテンツァ通り (Via Indipendenza)を東に向かい、リベルタ通り(Via Martiri della Liberta)に左折して進み、通りの名前がサンレオナルド通り(Via San Leonardo)に変わり、聖レオナルド聖堂 (San Leonardo)を右手に見て、カニャン運河 (Cagnan Grande)を渡って、次のサンタゴスティーノ通り(Via Sant'Agostino)に左折して進むと聖堂前の小さな広場に出ます(リンクをクリックすると新しいタブで開きます)

 

 街の東にあります。

 18世紀半ばに建設された聖堂で、当初は貧者の下僕会(Congregazione dei Padri Somaschi)が主催する聖堂でした。今ではサンタマリア・マッジョーレ聖堂(Santa Maria Maggiore)に本拠地が移され、その付属聖堂となっています。

 

 ナポレオンのイタリア侵攻の際にもなぜか廃院にされていません。当時は靴の職人組合が支援する聖堂で、徒弟の指導も行っていました。

 

 楕円形の聖堂ですが、表面は単なる円筒形ではなく、バロック様式に見られる波を打つような造りになっています。

 

 中央の扉口を両脇の二本のイオニア式の円柱が三角屋根を支えています。二層目の円筒形のドームには中央で二分割された半円形の窓があります。他の聖堂には見られない非常に特徴のある造りです。

 

 聖堂の左側面に沿ってサンタゴスティーノ通りを進み、狭いカテリーナ通り(Via Santa Caterina)に右折すると、聖カテリーナ聖堂 (Santa Caterina dei Servi di Maria) に出ます(リンクをクリックすると新しいタブで開きます)。すぐそばです。 

聖堂内部 (Google StreetViewより)

15. Sant'Andrea 聖アンドレア聖堂

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 シニョーリ広場から東に向かい、騎士の館(Loggia dei Cavalieri)を左に見て、直進してマルゲリータ通り(Via Santa Margherita)に入り、シーレ川(Sile=Riva)に向かうと右にサンタンドレア通り(Via Snt'Andrea)が出てきます。

 

 右に曲がった道なりに進むと聖堂前の広場に出ます。

 

 街の南部分にあたり、この一帯は市街の中でも一番古い地域です。

 

 聖堂は1780年建設の新古典主義様式で、19世紀に側廊が追加されて三廊式になっています。

 

 ナポレオンのイタリア侵攻の際に、洗礼者聖ヨハネ聖堂(San Giovanni dei Riva )と聖パンクラス聖堂(San Pancrazio)と聖レオナルド聖堂(San Leonardo)の三聖堂が合同された聖堂です。

 

 

聖堂内は三廊式です。

16. Santo Stefano 聖ステファノ聖堂

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 鉄道の駅前からは、北西に伸びるガスペリ通り(Viale Alcide de Gasperi)を進むと、右手にヴィットリア広場 (Piazza Vittoria) が出てきます。

 そこでサンニコロ通り(Via San Nicolo)に突き当たるので、右折してディアス通り(Via Armand Diaz)を進むと右手に聖堂が見えてきます。なお左折してサンニコロ通りを進むと聖ニコロ聖堂 (San Nicolo) に至ります(リンクをクリックすると新しいタブで開きます)

 

 伝承によると、ロンゴバルド時代まで遡る、市内でも古い聖堂の一つです。ただし現在の聖堂は、16世紀の大地震で崩壊し、18世紀に再建されたものです。

 

 聖堂の正面には一か所扉口があり、その上の壁龕にキリスト像が収まっていますが、20世紀の作品です。

 

 聖堂は三廊式ですが、側廊はもとの礼拝堂を含めて近年に拡張したものです。

 

 

 

 

 18世紀のバロック様式の絵画が見られます。