ヴェネツィア_3 Venezia_3
32. San Giovanni Battista Decollato 洗礼者聖ヨハネ斬首聖堂 (San Zan Degola)
33. San Giuliano 聖ジュリアノ聖堂 (San Zulian)
34. Santa Margherita サンタ・マルゲリータ聖堂
35. Santa Maria Assunta detta I Gesuiti サンタマリア・アッスンタ聖堂
36. Santa Maria dei Miracoli サンタマリア・デイ・ミラコリ聖堂
37. Santa Maria del Giglio サンタマリア・デル・ジッリョ聖堂
38. Santa Maria del Rosario サンタマリア・デル・ロザリオ聖堂 (Gesuati)
39. Santa Maria della Carità サンタマリア・デラ・カリタ聖堂
40. Santa Maria della Fava サンタマリア・デッラ・ファーヴァ聖堂
41. Santa Maria della Salute サンタマリア・デラ・サルーテ聖堂
42. Santa Maria della Visitazione ご訪問の聖母聖堂 (La Pietà)
43. Santa Maria di Nazareth サンタマリア・ディ・ナザレ聖堂 (Scalzi)
44. Santa Maria Formosa サンタマリア・フォルモーサ聖堂
45. Santa Maria Gloriosa dei Frari サンタマリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂
31. San Zaccaria 聖ザッカリア聖堂
Castello地区にある聖堂です。
伝承では、7世紀に聖マグノ (San Magno)が建設した聖堂の一つと見なされています。
827年に当時のヴェネツィア総督により建設されています。現在の名称は、ビザンティン帝国の皇帝レオ五世より、洗礼者聖ヨハネの父親のザカリア (Zacaria)の遺骨が送られたことによります。
右手に隣接する女子修道院はヴェネツィアの上流家庭の子女を多く受け入れ、修道院長にはヴェネツィア総督の娘が就くこともあり、総督との関係が深い修道院になっていました。
例年、総督以下が列をなして訪問する儀式が行われていました。864年9月に暗殺された総督 (Pietro Tradonico )がかぶっていた赤い帽子 (Corno Ducale)は代々、総督の執務帽となっています。
他にもこの聖堂を訪れた際に暗殺された二人の総督も埋葬されています。9世紀から13世紀にかけての多くの総督が埋葬されています。
聖堂は15世紀に、コドゥッシ (Codussi)の設計で建設されています。なお、初期に設計した聖ミケーレ聖堂 (San Michele in Isola)の正面と比較しても一層繊細な造りになっているのが良く分かります。
聖堂前には同名の広場 (Campo San Zaccaria)があり、聖堂と旧修道院を見渡すことができます。
井戸が一カ所あります。
正面には中央に一カ所の扉口の上に、五層に伸びて半円形の屋根を載せ、両脇は三層で四半円形の屋根が載る初期ルネサンス様式です。扉口の上に聖人、屋根にキリストと四体の天使像が載っています。
聖堂内は三廊式です。
内陣の後ろには放射線状に祭壇があり、周回廊になっています。
北イタリアやフランスのゴティック様式の聖堂では良く見られる構造ですが、ヴェネツィアの聖堂では他には見られません。
主祭壇にはキボリウムがあり、キリストの十字架降下の絵が飾られています。
奥にはベリーニ作「キリストの神殿奉献」が見えています。
右側廊には二カ所の祭壇があり、その奥にある聖アタナシオ礼拝堂 (Cappella di Sant'Atanasio)は1440年にガンベッリョ (Antonio Gambello)により建設された、隣接する旧修道院です。
主祭壇には、ティントレット (Tintoretto)1563年作「洗礼者聖ヨハネの生誕」、右側面にはパルマ(Palma il Vecchio)1512年作「聖母子と聖人」が掛けられている他にもティントレットやパルマ (Palma il Giovane)の作品が多くかけられています。
更にその奥の聖タリシオ礼拝堂 (Cappella di San Tarisio)は、旧修道院の中央主祭壇で、ヴィヴァリーニとアレマーニャ(Antonio Vivarini ,Giovanni d'Alemagna)1403年共作の、「聖母子と聖人」が描かれた金箔で輝く大きな衝立が置かれています。
床には建設当時のモザイクが残っています。他にも同作者の「聖母子」と「キリスト」の二枚の衝立があります。
天井にはカスターニョ (Andrea del Castagno)1442年作、「天の父と福音書記者」が鮮やかな緑色の残るフレスコ画で描かれています。
奥の地下礼拝堂には歴代の総督の墓が収められています。
左側廊には三カ所の祭壇があり、二番目のサンザッカリア祭壇には、ベリーニ (Giovanni Bellini)晩年の1505年作、「聖母子と聖人」の傑作が掛けられています。
この祭壇画はナポレオンがヴェネツィアを蹂躙した際に強奪してルーブル美術館に収納させましたが、ナポレオンの没落後に戻されています。
その他全ての側面に絵が掛けられており、正に美術館のようです。
有名な傑作が多く見られる聖堂で、一つ一つ見て行くと時間がかかる聖堂です。
32. San Giovanni Battista Decollato 洗礼者聖ヨハネ斬首聖堂 (San Zan Degola)
Santa Croce e San Polo地区にある聖堂です。観光客も訪れない静かな地域にあります。
通常はSan Zan Degola (聖ツァン・デゴラ聖堂)と呼ばれています。ヴェネツィア独特の短縮表現によるものです。
11世紀初頭に建設され、典型的なビザンティン様式を引き継いでいます。その後、13世紀初頭に再建され、更に18世紀に改築されて現在に至っています。地域に密着した小さな聖堂です。
ナポレオンがヴェネツィアを蹂躙した際に廃院にされ、倉庫に使用されていました。
正面は一カ所の扉口と上に丸窓のあるだけの簡素な造りです。
聖堂の奥に聳える鐘楼は崩壊した後に現在の高さまで低くして再建されたものです。
聖堂内は三廊式でフレスコ画が見られます。
なお、現在はロシア正教の聖堂となっており、中央祭壇の前にはイコン画の衝立が置かれています。
33. San Giuliano 聖ジュリアノ聖堂 (San Zulian)
San Marco地区にある聖堂です。
ヴェネツィア式の短縮表現でSan Zulian (聖ズリアン聖堂)と呼ばれています。
サン・マルコ大聖堂前の時計塔 (Torre dell'Orologio)を通って、両側に土産物屋が並ぶ狭い、メルチェリア (Merceria Orologio)通りを進み、突き当たりをマルツァリア (Marzaria San Zulian)通りに曲がったところにあります。
聖堂の右手奥に同名の小さな広場があり、井戸もあります。聖堂の前に広場はありません。非常に分かりにくい場所ですが、サン・マルコ大聖堂とリアルト橋を結ぶ線上にあるので、観光客の多い通りです。
9世紀初頭には存在したことになっていますが、11世紀の半ばから記録上に出てきます。
16世紀の半ばに、占星術師で科学者だったランゴーネ (Tommaso Rangone)が、梅毒の治療で得た資金を元に、サンソヴィノに設計を依頼し、再建された聖堂です。
聖堂の中央には扉口があり、一層目の両脇は円柱形の片蓋柱で二層目は方形の柱になっています。扉口の上にはサンソヴィノが作成した小さなランゴーネの像が薬草を持った姿で載っています。
聖堂内は単廊式です。
主祭壇には聖母戴冠と三人の聖人が描かれた絵が置かれています。
両側壁には二カ所の祭壇があります。
天井には父なる神とキリスト、聖母の他聖人と多くの天使が描かれていますが、採光が取れておらず、良く見えません。
34. Santa Margherita サンタ・マルゲリータ聖堂
Santa Croce e San polo地区にあります。
ヴェネツィア大学のあるフォスカリ宮殿 (Ca’Foscari)から聖パンタレオン (San Pantalon)聖堂に向かい、聖パンタレオン聖堂前の広場 (Campo San Pantalon)から、フォスカリ運河 (Rio de Ca'Foscari)に掛かる橋を渡る (写真の橋を右手方向に進む)と見えてきます。
聖堂前は狭い通路だけで、見過ごしてしまいますが、そのまま進むと、井戸が二カ所ある、広い同名の広場 (Campo Santa Margherita)に出ます。
836年に建設されたヴェネツィアでも古い聖堂です。バルバリの地図でも認められる大きな聖堂でした。
この周辺はビザンティン帝国からの商人が多く住んでいた地区です。
19世紀初めに廃院にされ、その後倉庫などに使用されていました。
隣接する鐘楼も崩壊の危機から高さを抑えて残存しています。
その後聖堂として復活することもなく、現在では大学の講堂 (Auditorium di Santa Margherita)として使用されており、聖堂としての役割は果たしていません。
35. Santa Maria Assunta detta I Gesuiti サンタマリア・アッスンタ聖堂
Cannaregio地区にある聖堂です。
通常ではI Gesuiti (ジェスイティ)と呼ばれています。イエズス会の聖堂です。
沖合にサン・ミケーレ島 (San Michel in Isola)が見え、その先にムラーノ島も見えています。
16世紀初頭に聖ロヨラ (Ignacio de Loyola)がヴェネツィアを訪問した後、イエズス会信徒の増加により建設されています。
17世紀にはローマ教皇との諍いからイエズス会は一時ヴェネツィアから追放されていますが、オスマン帝国との戦争が勃発したことにより、和解が成立。18世紀にはヴェネツィアから土地を購入し、拡大して聖堂を建設しています。
トレント公会議により決定された様式で聖堂は建設されています。設計はロッシ (Domenico Rossi)が関わっています。
聖堂の正面には一カ所の扉口があり、両脇にはコリント式の円柱が数本並び、脇には聖ペテロ、聖パウロ、聖ヤコブ、聖マタイの立像が壁龕に収まっています。
屋根の上には聖使徒の立像が載っています。左手奥に鐘楼が聳えています。
聖堂内は三廊式です。
身廊中央天井には聖ロヨラの栄光が描かれ、四隅には大天使の像があります。
ティティアン作、「聖ロレンツォの殉教」、ティントレット作「聖母被昇天」、等の他多くの絵画で飾られています。
ヴェネツィア総督の墓もあります。
36. Santa Maria dei Miracoli サンタマリア・デイ・ミラコリ聖堂
Cannaregio 地区にある聖堂です。
1408年にフランチェスコ (Francesco Amadi)が自宅の外壁に描いた聖母画を納める祠を作ったのが聖堂の始まりとされています。後にこの聖母画は多くの奇跡を起こしたことから、多額の寄付が寄せられ、建屋が作られています。
その後、貧者クレア修道会の傘下に属することになり、アマディ家 (Amadi)から建屋の提供が行われ、ムラーノ島から修道女が移り住み、聖堂は聖キアラ女子修道会となっています。
15世紀末にピエトロ (Pietro Lombardo)により建設された初期ルネサンス様式の代表的な建造です。
16世紀に内装は改修されていますが、建設当時から大きな変更はありません。
聖堂の前には狭い広場があるだけで、全体を見渡せるほどではありません。
左側面は運河 (Rio di Miracoli)に面しており、連続する片蓋柱の上はアーチ型で飾られています。
なお、右側面から後陣に回り、運河を渡り広場 (Campo Santa Maria Nova)を抜けると、聖カンツィァーノ (San Canziano)聖堂に至ります。
聖堂の正面には中央に一カ所の扉口があり、上には聖母子像が載っています。
左右の片蓋柱の一層部分と二層部分では柱頭飾りが異なり、変化を出しています。
表面は赤斑岩と緑蛇紋石の色大理石で飾られ、小さな聖堂ですが豪華な印象を与えています。天井部分は半円形で中央に大きな丸窓があり、聖堂内が蒲鉾天井であることを示しています。
聖堂内は単廊式で、入ってすぐの所にキリストの磔刑像が置かれています。
主祭壇は一段と高くなっており、中央には階段があります。ニッコロ (Niccolò di Pietro)作の「聖母子 (La Vergine Col Putto)」が飾られています。
主祭壇の前の両側に置かれたクローゼットの前面には緑蛇紋石と白大理石が刺繍のように繊細に編み込まれています。後世の安価なスカリオーラ (Scagliola)で描かれたものではありません。
祭壇の下は聖具室になっており、天井にはドームが載っています。
両側壁には祭壇もなく簡素な造りですが、壁面には多彩大理石がはめられており、宝石箱の中に入ったようだと言われるように、華やかな印象を醸し出しています。
木製の蒲鉾天井は枠組みで50カ所に区切られ、旧約聖書から預言者や王等が描かれています。
穹窿の東側面には巫女が、西側面には女傑が描かれています。
扉口の内側にはオルガンが置かれています。
37. Santa Maria del Giglio サンタマリア・デル・ジッリョ聖堂
San Marco地区にある聖堂です。
Santa Maria del Zobenigo (サンタマリア・ツォベニーゴ)聖堂とも言います。
ビザンティン様式の古い聖堂でしたが、火災で崩壊し、10世紀に再建され、12世紀に改築された後、17世紀に再度改築され、聖堂名も変更されています。
聖堂の別名である、Zobenigoは当初の聖堂建設に携わった、Jubanico家の名前から来ていました。
聖堂が建設された17世紀には聖堂の前に広場がありました。現在では、聖堂の正面には広場は無く、右手の南側に残っているだけです。
聖堂の正面には一カ所の扉口があり、その半分の高さまでの台座の上に二連式のイオニア式の柱が六本並びその間に四人の人物像が並んでいます。
二層部分は二連式のコリント式の柱が四本並び、中央にはこの聖堂建設に基金を提出した軍人のバルバロ (Antonio Barbaro)の像があり、脇には「栄誉」「美徳」「名声」「英知」の擬人像が並んでいます。
下段の四人は Barbaro家の一族です。ヴェネツィア海軍を指揮し、多くの戦いで勝利したことを表す海戦の浮彫や甲冑、大砲などの浮彫がはめ込まれています。
その外にも屋根の上に像が載っており、バロック様式の特徴を具現した正面になっています。
聖堂は単廊式です。
主祭壇にはキボリウムが置かれ、後ろにはオルガンが見えています。
両側面に三カ所の祭壇があります。記念墓碑が多く見られます。
38. Santa Maria del Rosario サンタマリア・デル・ロザリオ聖堂 (Gesuati)
Dorsoduro地区にある聖堂です。
大運河側ではなく、Giudecca島に向かって、南面しています。アカデミア美術館 (Gallerie dell'Accademia)から南下した場所にあります。
14世紀末にシエナから来た修道者により新たに開かれた宗派で、貧者ジェスアティ会 (Gesuati)と呼ばれた会派により開設されたため、現在でも初期の名前のGesuatiと呼ばれています。
当初は右手奥にある、聖アグネス (Sant'Agnese)聖堂の場所にありました。
ローマでイエズス会 (Gesu:Gesuiti)が開かれたのより前のことです。名称は類似していますが全く別の会派です。
16世紀は聖母を奉献して Santa Maria de la Visitazioneの名称でした。1668年にこの会派は解散させられ、その後ドメニコ派が引き継いだことから拡大され、マッサリ (Giorgio Massari)が初めて設計したと言われる、現在の聖堂が建設されました。
紛らわしいことに、左手に隣接して Santa Maria de la Visitazione聖堂があります。現在 La Pieta と呼ばれる Santa Maria della Visitazioneとは別の聖堂です。
聖堂の正面には中央に扉口があり、コリント式の円柱が三角形の破風を支えています。
正面には、左下に「正義」・左上に「思慮(賢明)」・右下に「節制」・右上に「勇気(剛毅)」の四体の寓意像があります。交差廊の上にドームがあり、両脇に鐘楼が見えています。
聖堂内は三廊式です。
両側面には三カ所祭壇が並び、ドメニコ派によく見られるように、絵画や彫像で飾られています。
特に天井はティエポロ (Giovanni Battista Tiepolo)1738年作の、14m×4.5mの大きなフレスコ画で、聖ドメニコを神聖視した作品になっています。
同じ作者の作品で、「聖母とシエナの聖カタリナ・リマの聖ローザ・聖アグネス」1748年の他、ピアツェッタ (Giovanni Battista Piazetta)1738年作、「三聖人」があります。
旧約聖書の預言者や聖ピエトロの聖像など華やかです。
39. Santa Maria della Carità サンタマリア・デラ・カリタ聖堂
Dorsoduro地区にある聖堂です。
大運河に掛かる橋は、三カ所のみで、駅前にあるスカルツィ橋 (Ponte degli Scalzi)、次いでリアルト橋 (Ponte di Rialto)、三番目がアカデミア橋 (Ponte dell'Accademia)です。
聖堂はアカデミア橋のたもとにあり、水上バスの船着き場からすぐのところです。
現在ではヴェネツィアを代表するアカデミア美術館 (Gallerie dell'Academia)の一部として特別展の際に使用されており、聖堂としての役割は果たしていません。
1134年にラヴェンナから来た修道士により建設されています。1177年にアレキサンドル3世教皇により奉献されていますが、当時教皇は神聖ローマ帝国のバルバロッサ皇帝から避難してこの修道院に身を隠していました。
1260年にカリタ信心会 (Scuola Grande di Santa Maria della Carita)に所属するようになり、隣接して大きなゴティック聖堂が建設されました。1561年にはパラーディオの設計で再建されましたが、火災にあっています。
18世紀に信心会は閉鎖され、同時に修道院は廃院にされ、19世紀初めから美術館として使用されるようになっています。
40. Santa Maria della Fava サンタマリア・デッラ・ファーヴァ聖堂
Castello地区にある聖堂です。Favaは豆を意味しています。
豆を扱う商人が多くいたとする説や、豆菓子を売る店があったとする説など諸説があります。
15世紀に聖母のイコン画を祀る祠として建設されています。現在でもその板絵を見ることができます。
17世紀に聖フィリッポ・ネリのオラトリオ会の聖堂となり、拡張されています。20世紀になって至聖救世主会に所属する聖堂となっています。
聖堂は運河 (Rio della Fava)に面しており前には狭い広場がありますが、正面中央の扉口まで聖堂の左半分が聖堂前の建屋で埋もれているような形態になっています。
聖堂内は単廊式です。
主祭壇にはキボリウムがあり、後ろにはオルガンが見えています。
両側壁には三か所の祭壇があります。ピアゼッタ作の作品、「聖フィリッポ・ネリ伝」、ティアポロの「聖母の教育」1732年作、などの絵画が見られます。
41. Santa Maria della Salute サンタマリア・デラ・サルーテ聖堂
Dorsoduro地区にあります。
サンタ・ルチア駅前から水上バスに乗り、大運河を通ってサン・マルコ広場に向かうと、大運河の終着点に近づき、サン・マルコ運河に出る手前の右手に見えて来ます。
大きなドームを載せた八角形の堂々たる聖堂で、ヴェネツィア・バロック様式の代表的な聖堂です。
1631年4月1日に、ペストの終焉に感謝して、ロンゲーナ (Baldassare Longhena)の設計で建設が開始されました。当時のヴェネツィアの人口はおよそ15万人で、その30%がペストで死亡したと言われています。
ロンゲーナの死去や資材の大理石の調達に時間がかかり、完成するまでに50年を要しています。
ひと際大きな扉口は四本のコリント式柱頭飾りを載せ、上下二層に聖人の彫刻を配し、屋根の上にも100を超える聖人と天使の彫像が飾られています。
サン・マルコ広場から運河越しに見ると、大小二つのドームと鐘楼が並び、均整のとれた白大理石の聖堂が水面に映る姿は印象的です。
聖堂内はロンゲーナの意匠が生かされています。
中央主祭壇には13世紀作の聖母像とヨッセ (Josse Le Court)作「聖母子像」が、ヴェネツィアがペストから回復したことを祝って安置されています。
右手の祭壇にはジョルダーノ (Luca Giordano)作「聖母被昇天」があり、左手の祭壇にはティツィアーノ (Tiziano Vecellio)作「聖霊降下」が見られます。
聖具室の天井画はティツィアーノ作「カインとアベル」で、1550年頃作の「ダヴィデとゴリアテ」、「イサクの犠牲」があります。
壁面にはティントレット (Tintoretto)1551年作の「カナの結婚」、パルマ(Palma il Giovane)作「ヨナとサムソン」等傑作が飾られています。
他にはクレタ島からもたらされた、聖ルカが描いたとされる「聖母」も収められています。
多くの作品が収容されており、外観と共に、見ごたえのある聖堂です。
11月の聖堂の守護聖人を祝う日には聖堂前の運河一面が蝋燭で輝きます。
42. Santa Maria della Visitazione ご訪問の聖母聖堂 (La Pietà)
Castello地区にある聖堂です。
通常は聖堂の正面に掲げられた浮彫彫刻から、La Pietà (ピエタ)と呼ばれています。
1346年に孤児院として建設された建物の付属の聖堂として建設されています。
毎年、「棕櫚の日曜日」(Palm Sunday)にはヴェネツィア総督により、多額の喜捨が行われるだけでなく、子供たちの唱歌を聞く会が催されるなど、手厚く保護されてきました。
1703年、聖職者志望だったヴィヴァルディー (Antonio Vivaldi)は女性孤児のヴァイオリン教師の職を得て、子供たちの指導に当たっています。
聖堂はカドゥッシ (Mauro Cadussi)の設計で楕円形をしています。天井にはこの建築家と良く共同作業をした、ティエポロの聖母戴冠が描かれています。
1741年に内部が改装されて、一層音響効果が良くなり、現在ではコンサートホールとして使用されています。聖堂としての役割は果たしていません。
43. Santa Maria di Nazareth サンタマリア・ディ・ナザレ聖堂 (Scalzi)
Cannaregio地区にある聖堂です。Scalzi (スカルツィ聖堂)と呼ばれています。
ヴェネツィアに鉄道で到着して、サンタ・ルチア駅を出るとすぐ左手にあります。
駅前にある大運河の水上バスの船着き場に向かう大勢の観光客と、運河に掛かるスカルツィ橋 (Pone degli Scalzi)に向かって歩いていく観光客で、聖堂はほとんど見逃されてしまいます。
1654年に建設された<跣足のカルメン派>の修道院です。通常は修道院名の、<はだし>(Scalza)を取ってスカルツィ(Chiesa degli Scalzi)と呼ばれています。
修道院部分は鉄道の駅の建設により撤去されましたが、聖堂は一部残りました。典型的なヴェネツィア・バロック様式の聖堂です。
聖堂内は三廊式です。
聖堂内は一面絵画で埋められています。アヴィラの聖テレサ (Santa Teresa d'Avila)礼拝堂はティエポロ (Tiepolo)作のフレスコ画で華やかに飾られています。
公式Webサイト「S. Maria di Nazareth」(伊語)
https://www.chiesadegliscalzi.it/ch/
https://www.chiesadegliscalzi.it/ch/benvenuto/
開館時間などが記載されています (Google翻訳で読みましょう)。
44. Santa Maria Formosa サンタマリア・フォルモーサ聖堂
Castello地区にある聖堂です。
サン・マルコ大聖堂と、聖ザニポロ (San Zanipolo)聖堂との中間地点にあります。
伝承によると、639年に聖マグノ (San Magno di Odenzo)の枕元に豊満な聖母が現れ、白雲のたなびく地に聖堂を建設するように求めたとされています。Formosaは「体格の良い、豊かな姿態の」を意味します。オデルツォ (Odenzo)はトレヴィゾ (Treviso)の東にある町です。
ヴェネツィアには聖マグノにより建設された聖堂が八聖堂あるとされています。San Salvador聖堂もその一つです。
7世紀には聖母を祀る聖堂が建設されていたようです。実際には11世紀ころに建設され、廃墟となっていた聖堂の跡に、1492年にコドゥッシ (Mauro Coddussi)により建設されています。
ギリシャ十字形の聖堂の東側に半円筒形の礼拝堂が追加された形態になっており、その両脇に一回り小さな半円筒形の礼拝堂が並んでいます。
聖堂の正面は北側にあり、右手に見える高い鐘楼は17世紀に地震で崩壊した後に再建されています。前には広場があり、井戸もあります。
1542年に、オスマン帝国海軍に勝利した司令官を記念して聖堂の西側に扉口が追加されています。扉口の上にはその立像が載っています。
聖堂内はギリシャ十字形です。
多くの祭壇が周囲に並んでいるので、非常に複雑な構成に見えます。
パルマ (Palma Vecchio)作の「聖バルバラ」の一面衝立は傑作とされています。
45. Santa Maria Gloriosa dei Frari サンタマリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂
Santa Croce e San Polo地区にある聖堂です。
大運河を水上バスでサン・マルコ広場に向かい、リアルト橋の先のSan Toma船着き場で下船し、聖トマ (San Tomà)聖堂を抜けると聖堂の東側の広場に出ます。
聖堂の正面は北東を向いており、フラーリ運河 (Rio del Frari)に面しています。
正面は二本の片蓋柱で三分されており、中央に一カ所の扉口があります。
扉口の両脇に立つ白大理石の柱の上の左にはボン (Bartolomeo Bon)制作の聖母子、右には聖フランチェスコ、中央尖頭型アーチの上にはキリストの立像が載っています。
上には丸窓があり、屋根の上には尖頭が載っています。
左側面の奥には聖ペテロ礼拝堂があり、その後ろに1396年に完成した70mの高さを誇るロマネスク様式の鐘楼が聳えています。
最上階には八角形の塔が載り、その下の三連式の窓が目立ちますので、遠くからも認識することができます。この鐘楼はサン・マルコ広場の塔に次ぐ高さがあります。
その左奥には聖堂の祭壇の脇に付き加えた形態で、小さな聖マルコ礼拝堂があります。そのため正面から見ると左側に二カ所扉口が並んでいるように見えます。
正面の右側には回廊が隣接していますが、その前に国立資料館があるので隠れてしまっています。
聖堂の後側の聖ロッコ広場 (Campo San Rocco)に回ると、主祭壇の両脇の三カ所の祭壇と、その脇の聖マルコ礼拝堂と右側の祭具室の祭壇があるので、半円筒形の後陣が九カ所並んでいるのが見えます。特に主祭壇の後陣は見事な造りです。
聖堂は、1250年ころにフランチェスコ会により建設されました。信者の増加に伴い、1340年から拡張を続け、百年後の1445年にゴティック様式の壮大な聖堂として完成しています。
聖堂内は三廊式です。身廊には聖十二使徒を意味する、二列に並んだ六本の円柱がボールト天井を支えています。
中央主祭壇にはティツィアーノ・ヴェチェッリオ (Tiziano Vecellio)1518年作、「聖母被昇天(Assunta)」の大きな絵が掲げられています。
天上の神に向かい、赤衣の聖母が天使に支えられて昇天していく姿を地上で聖使徒たちが見上げている絵は、他の聖堂でもこの作品の模写が掲げられているのが見られるほど有名な作品です。
脇にはヴェネツィア総督のフォスカリ (Francesco Foscari)の墓碑がかけられています。
その手前の身廊の中央には、他の聖堂ではほとんど見られなくなった、聖歌隊席が置かれています。
これは15世紀に設置されたままの場所です。両脇には17席、20席、25席、の三段階に並んだ聖歌隊席があり、その長さは13.7mあります。
主祭壇の左側の祭壇は外側に向かって順に、フランシスコ派の聖人 (Santi Francescani)祭壇、大天使ミカエル (San Michele)祭壇、ミラノ (Milanesi)祭壇と並びます。
Santi Francescani祭壇の「フランシスコ会の聖人と聖母子」
大天使ミカエル祭壇の聖アントニオ、ミケーレ、セバスティアーノの彫像
ミラノ (Milanesi)祭壇には、Bartolomeo Vivariniの甥のヴィヴァリーニ (Alvise Vivarini)と死後にマルコ・バサーティ(Marco Basati)によって完成された「聖アンブローズと聖人達 (Pala di Sant'Ambrogio)」1503年作があります。
右側は同じく、洗礼者聖ヨハネ (San Giovanni Battista)祭壇、秘跡 (Padre Kolbe)祭壇、ベルナルド (Bernardo)祭壇と並びます。
洗礼者聖ヨハネ (San Giovanni Battista)祭壇にはドナテッリョ (Donatello)1438年作の「洗礼者聖ヨハネ」の木彫像が掲げられています。
ベルナルド (Bernardo)祭壇のヴィヴァリーニ (Bartolomeo Vivarini)作「聖母子と聖ピエトロ、パオロ、アンドレア、ニコラ」
左側奥の聖マルコ (San Marco)礼拝堂にはヴィヴァリーニ (Bartolomeo Vivarini)1473年作、「聖マルコと四人の聖人」があります。
右側奥の祭具室 (Sagrestia)にはベリーニ (Giovanni Bellini)1488年作「聖母子と四人の聖人」の他、聖遺物容器が収められています。
その奥にあるチャプターハウスにはヴェネツィアーノ (Paolo Veneziano)1339年作、「聖母子」の板絵が見られます。
板絵の下にはダンドーロの記念碑(Monumento del doge Francesco Dandolo)があります。
右側の曲がり角には、マルチェッロの記念碑 (Monumento a Jacopo Marcello)があります。
扉口の内側には多くの記念墓碑とポルデノーネ (Pordenone)作「天使と聖母子」等が見られ、左側廊にはロンゲーナ(Baldassarre Longhena)作の「キリストの磔刑祭壇(Cappella del Crocifisso)」があります。
そして、ペサーロ総督記念墓碑(Monumento funebre al doge Giovanni Pesaro)があり、
ティティアン (Tiziano)作「ペサーロ家の聖母子祭壇(Pala Pesaro)」等が並びます。
その奥側に聖ピエトロ礼拝堂(Cappella di San Pietro)があります。
右側廊は、手前側から聖アントニウス (Sant'Antonio da Padova)祭壇があり、ロンゲーナ作の記念墓碑があります。
その左隣には、ティティアン (Tiziano)がペストに感染して1576年に死去した際の遺言に従い、埋葬 (Monumento a Tiziano)されています。
その左隣は、ジュゼッペ サルヴィアティ (Giuseppe Salviati)の「Presentazione di Gesù al Tempio」があり、
その左が、Altare di San Giuseppe da Copertino、さらに左がアレキサンドリアの聖カタリナ (Santa Caterina)祭壇となります。
聖カタリナ祭壇には、パルマ (Palma il Giovane)1595年作、「聖カタリナの殉教」があります。
非常に多くの絵画作品と記念墓碑が収容されていますが、大きな聖堂なので、ゆったりとした印象で見て回ることができます。
回廊はサンソヴィノ (Jacopo Sansovino)とパラーディオ (Andrea Palladio )が設計しています。
公式Webサイト「BASILICA DEI FRARI」(英語)
https://www.basilicadeifrari.it/en/
https://www.basilicadeifrari.it/en/informazioni-generali/#1436148020906-4512b899-6f70
開館時間、入館料等が記載されています。
英語のパンフレット(PDFファイル)
https://www.basilicadeifrari.it/wp-content/uploads/2017/01/Piantina-Audioguida_ING.pdf