モンツァ Monza
ミラノの北東約15kmに位置するモンツァは、モンツァ・エ・ブリアンツァ県 (Monza e della Brianza) の県都であり、州内第3位の人口を持つ。
中世以来の古い歴史を持つブリアンツァ地方の中心都市であり、繊維業や出版業などの商工業が盛んである。
【アクセス】
ミラノの北に位置し、ミラノ中央駅からではなく、ガリバルディ駅から電車で30分くらいの所にある街ですから、ミラノからは日帰りが可能です。
駅は南端にあり、街の中心までは500m程ありますが、駅前通りを北に向かうだけですから、迷うことはありません。
【歴史】
ローマ帝国時代から交通の要所として発展してきており、6世紀のロンゴバルド王国の時代には豪華な夏の避暑地として発展して来た街です。
その後、スペインの支配下に入り街は荒廃しましたが、18世紀末になってオーストリアのフェルディナンド皇太子(Ferdinand)の下で、繁栄を取り戻しています。皇太子は旧市街にあった別荘を街の北のはずれに移し、広大な敷地の中にレアーレ宮殿(Villa Reale)を建設しています。設計者のピエルマリーニ(Giuseppe Piermarini)はミラノのスカラ座を設計した建築家です。
モンツアで1900年に殺害されたフンベルト1世(Humbert I)とマーガレットオブサヴォイの豪勢な館も存在しています。
【街を歩く】
小さな街ですが、街並みが整備され、お洒落な店と歴史的な建造物が控える、瀟洒な趣のある街で、散策には最適です。
街の中心にはローマ帝国時代から街道の交差路であったローマ広場 (Piazza Roma)があり、13世紀末建設の自由都市時代を象徴するアレンガリオ宮 (Palazzo Arengario)があり、現在は市庁舎となっています。
車好きな方には、F1イタリアGPが開催される街と言った方が分かりやすいかもしれません。
1. Duomo di Monza モンツァ大聖堂 (Basilica minore di San Giovanni Battista)
街の中心地にあり、一番の観光スポットで案内板も整備されていますし、多くの人々で賑わっていますので、迷うことはありません。
代々のロンゴバルド王国の墓所があった聖堂を、13世紀から14世紀に掛けて再建した堂々とした聖堂です。左側にある鐘楼は17世紀初頭に完成しています。
正面入口の柱廊の上には大きな薔薇窓があり、星や花や顔が正方形の枠の中に浮彫にされた飾り石が周囲を囲んでいます。
また白と黒の大理石が正面全体に市松模様に配置されており、六本の片蓋柱の頂点にある尖塔の中には聖人像が見られます。
入口の上のティンパヌムには中央に洗礼者ヨハネとキリストの洗礼の場面が、左右に聖ペテロと聖パウロの浮彫が飾られています。
内部は三廊式の大きな聖堂です。
アプシス上の天蓋には聖母マリアの戴冠が描かれ、天井や側壁も多くの絵画でにぎにぎしく飾り立てられています。
大聖堂の裏手に入口があるテオドリンダ礼拝堂(Cappella della Regina Teodolinda)は15世紀にゴティック様式で建設されていますが、ここにはキリスト磔刑の際に使われた釘で作成されたとされる王冠が保管されています。
この鉄の王冠は長らくイタリア王の戴冠式に使用され、イタリア王に就任したナポレオンも戴冠しています。
祭壇はカンピオーネ(Matteo da Campione)の制作です。
2. Santa Maria degli Angeli サンタマリア・デリ・アンジェリ聖堂
街の中心のローマ広場 (Piazza Roma)から西に歩き、ジョスエ・カルドゥッチ広場(Piaza Giosue Carducci)の西北端のマンテガッツァ通り(Via Mantegazza)を北に進むと、突き当たりのバルトロメオ・ズッキ通り(Via Bartolomeo Zucchi)に面してあります。
道路手前のグランディ広場(Piazza Grandi)には十字架を掲げた聖カルロ・ボッロメオ (San Carlo Borromeo)の青銅像が置かれています。
正面は4本の片蓋柱で三面に分けられ、それぞれに入口とその上に長い窓が配置されています。
17世紀初めにバルトロメオ・ズッキの命令でバロック様式で建てられました。
19世紀に道路拡張のため取り壊され、その後ネオ・ゴティック様式で再建されました。
右手の鐘楼も近代の建設です。
身廊の床には聖堂が建設された当初のモザイク模様が残っています。
束ね柱が穹窿を支えており、身廊と側廊との間に壁は無く、広々とした空間を醸成しています。
側壁には絵画はありません。
3. Santa Maria in Strada サンタマリア・インストラーダ聖堂
駅前から街の中心に向かい旧市街に入ると、イタリア通り(Via Italia)の右側に見えてきます。ローマ帝国時代の街道(ストラーダ)に面して建設されており、その歴史が名称に残されています。
1348年にフランシスコ派により、既存の建物を修道院として、ロンバルド・ゴティック様式で改修したことから始まります。
ナポレオンによる征服時代に修道院は廃止させられますが、その後復活し、正面は1870年代にマチアッキーニ (Carlo Maciachini)により改修が行われました。
正面は三層に分けられ、三層目には薔薇窓とその両脇に二連式尖塔アーチの窓が並び、最上段の切り妻型破風の中央には等身大の聖母子像が見られます。両脇から頂点に向かい波型模様がリズミカルに並んでいます。
右手の鐘楼は当初は同じ高さでしたが、最上階に二連式尖塔アーチ型の窓を加え、更に頂上にマチアッキーニが尖塔を追加したために一段と目立つようになっています。
内部は単廊式です。
多角形のアプシス上の天蓋には聖母被昇天が描かれています。
4. San Pietro Martire 聖ピエトロ聖堂
街の中心にあるローマ広場 (Piazza Roma)からカルロ・アルベルト通り(Via Carlo Alberto)を北に、レアーレ宮殿(Villa Reale)に向かうと左側のサンピエトロ・マルティーレ広場 (Piazza San Pietro Martire)にあります。
聖堂前の広場にはモンツァ出身の画家、モーゼス・ビアンキ (Mosè Bianchi)の記念碑(1927年落成)があります。
1252 年にコモからミラノへの旅行中にカタリ派によって殺害されたドミニコ会の聖ピエトロに捧げられています。
内部は、石とテラコッタが交互になった円筒柱で区切られた3つの身廊に分かれています。
天井は半円形の穹窿で絵画などはありませんが、側壁には一部フレスコ画を認めることができます。