パヴィア  Pavia

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ダヴィンチ広場にある塔
ダヴィンチ広場にある塔

 1361年に設立されたパヴィア大学を中心に学問の風土を持つ、閑静な都市。

 

【アクセス】

 パヴィアにミラノから来るには、ミラノ中央駅から国鉄の直通で来る方法、ミラノ街中の地下鉄から直通で来る方法、国鉄と地下鉄を乗り継いで来る方法と色々ありますが、いずれの場合も1時間はかかりません。

 

 パヴィアに宿を取らずにミラノから日帰りでも街中の主要な聖堂は見て回ることはできますが、見るべき聖堂が数多くありますので、宿を取ってゆっくり歴史ある街並みを散策することをお勧めします。

 

 なお、隣町にあるカルトジオ会の パヴィア修道院 (Certosa di Pavia)も訪れる場合には、ミラノからの日帰りでは時間が足りなくなり、満足に聖堂を見て回ることは無理かと思われます。

 

 車で訪問した場合には、街の中心部には駐車場はありませんので、周辺に停めてから徒歩での散策となります。

 

【歴史】

 パヴィアの街の歴史は古く、古代ローマ時代まで遡りますが、ローマ帝国時代から重要な街として重きをなしてきました。6世紀以降はロンゴバルド王国やイタリア王国の首都として繁栄してきましたが、神聖ローマ帝国皇帝バルバロッサの時代になって、自由都市の地位を勝ち得ています。

コペルト橋 (Ponte Coperto)
コペルト橋 (Ponte Coperto)

 1356年以降はヴィスコンティ家(Visconti)の支配下に入り、街の北にある城にはガレッツオ2世(Galeazzo II)の宮廷が置かれていました。また街の南を流れるティチーノ川(Ticino)に掛かるコペルト橋(Ponte Coperto)は、古くローマ帝国時代に建設されましたが、ヴィスコンティ家の下で、100本の花崗岩で屋根を支える見事な橋に造り直されました。

 街の歴史と共に歩んできた由緒ある橋です。なお、現在の橋は第二次世界大戦で破壊され、戦後に復元されています。

 

 14世紀には街に100を超える塔が聳え立ち、塔の街と呼ばれるほどの繁栄を誇っていました。しかしその塔も、現在では、ダヴィンチ広場(Piazza Leonardo da Vinci)に数本残るだけとなっています。なお、街の塔(Torre Civica)は1989年に突然崩壊し、その残骸の一部がドゥオーモの脇に残されています。

 

 歴史に残る、1525年のパヴィアの戦闘(The Battle of Pavia)では、フランス王のフランシス1世(Francis I)を捕虜にしています。

 

【街を歩く】

 小さな街ですが、ローマ帝国時代の遺跡や、多くのロマネスク様式の聖堂、ルネサンス様式、バロック様式の聖堂の他、瀟洒な館など見どころが沢山ある歴史景観都市と言えます。

 

【宿】

 宿は駅前に数軒ありますが、街中にはほとんどありません。早めの予約が必要でしょう。

  

1. Duomo di Pavia パヴィア大聖堂 (Cattedrale di Santo Stefano e Santa Maria Assunta)

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 駅からはヴィットリオ・エマニュエーレII通り (Viale Vittorio Emanuele II)を進み、ミネルヴァ広場(Piazza della Minerva)のロータリーから、コルソ・カミーリョ・ベンソ・カブール(Corso Camillo Benso Cavour)に入って東進し、左手に衣料品店「ZARA」が見えたら、その先の四つ角をジャコポ・ボッソラロ通り(Via Jacopo Bossolaro)に右折して進むと、左手に見えてきます。

 

 ドゥオーモ広場(Piazza del Duomo)からはその大聖堂を見渡すことができます。

 

 

 なお、ドゥオーモの正面に向かって左側に煉瓦の山がありますが、これは1989年に崩壊した市の塔 (Torre Civica)の残骸です。

 

 1488年にルドヴィコ(Ludovico il Moro)の弟の枢機卿アスカニオ・スフォルツア(Ascanio Sforza)により建設が始められました。設計は当初、カルトジオ修道院(Certosa di Pavia)の建設にも携わった、アマデオ (Giovanni Antonio Amadeo)とロッキ (Cristoforo Rocchi)と言われていますが、後にダヴィンチ(Leonardo da Vinci)とブラマンテ(Bramante)と言う錚錚たる人物に変更されています。

 

 なお、正面とドームが完成したのは19世紀になってからで、ドームは 92mあり、イタリアでも3番目の大きさを誇っています。

 

 

 正面には入り口の両脇に丸窓があり、垂直に屋根まで走る二本の片蓋柱と横一線にリズミカルに並ぶアーチが交差して下層部と上層部を分け、その上の丸窓の上にもアーチが並ぶ左右対称で安定感のある威風堂々とした様を見せています。

 

 

 内部は太い大理石で支えられたドームが圧巻ですが、サッキ(Carlo Sacchi)作などの絵画が飾られ、地下聖堂には一部ブラマンテの手が入っています。

 

 

2. San Francesco Maggiore 聖フランチェスコ・マッジョーレ聖堂

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 駅からはヴィットリオ・エマニュエーレII通り(Viale Vittorio Emanuele II)を進み、ミネルヴァ広場(Piazza della Minerva)のロータリーから、コルソ・カミーリョ・ベンソ・カブール(Corso Camillo Benso Cavour)に入って東進し、ヌオーヴァ通り(Strada Nuova)との交差を過ぎて、コルソ・ジェゼッペ・マッジーニ (Corso Giuseppe Mazzini)と名前を変えた後、「L'AltroVerso」というパンとコーヒーの店の手前でディフェンデンテ・サッキ通り(Via Defendente Sacchi)に左折して北上します。次の角右側のサンタマリア・インコロナータ・ディカネパノヴァ聖堂(Santa Maria Incoronata di Canepanova)の前を過ぎ、更に200mほど北上すると、通りの名前がコルソ・カイロリ(Corso Cairoli)に変わった右側に見えてきます。

  前にはサン・フランチェスコ広場(Piazza San Francesco)がありますので、聖堂全体を見渡すことができます。

 

 ダヴィンチ広場 (Piazza Leonardo da Vinci)から行くには、広場北側の道を東に進み、ラッザロ・スパランツァーニ通り(Via Lazzaro Spallanzani)と名前が変わったら、一つ目の交差点でディフェンデンテ・サッキ通り(Via Defendente Sacchi)に左折し、120mほど進むと、通りの名前がコルソ・カイロリ(Corso Cairoli)に変わった右側にあります。

 

 

 13世紀初頭にロマネスク様式で建設された部分と、後に14世紀になってゴティック様式で建設された部分が混在しています。

 

 正面は煉瓦と白い石で菱形模様や市松模様で鮮やかに装飾されています。屋根には五本の尖塔が聳え、威容を誇っています。

 

 内部はラテン十字式の三廊式の聖堂で、太い煉瓦の柱が印象的です。

 

 正面外部の華やかな模様とは一変し、アプシスにはキリストの磔刑像があるだけの簡素な造りとなっています。

 

3. Santi Gervasio e Protasio 聖ジェルバシオと聖プロタシオ聖堂

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 駅前から北に向かうトリエステ通り(Via Trieste)を進み、三差路で右折してファビオ・フィルツィ通り(Via Fabio Filzi)を進み、ダンテ広場(Piazza Dante)のロータリーからジャコモ・マッテオッティ通り(Viale Giacomo Matteotti)に入って一本目のランフランコ通り(Via Lanfranco)で右折して、次の角でさらにセヴェリノ・ボエツィオ通り(Via S. Severino Boezio)に右折して30mほど進むと右手に見えてきます。

 鐘楼がありますが、近くに行かないと見えませんし、正面入口は18世紀初頭に大々的に改修され、近代的な建物に変更されていますので、分かり難いかもしれません。

 

 3世紀にあった共同墓地の跡地に建設された、街でも一番古い聖堂とみなされています。

 

 殉教者の聖ジェルバシオと聖プロタシオ兄弟の聖遺骨であることがミラノの聖アンブローズにより認められ、両聖人の聖遺骨はパヴィアに移遷されたと伝えられています。

 

 聖堂と鐘楼は12世紀にロマネスク様式で建設されました。

 

 内部は単廊式で、内陣にはキリストの磔刑像があります。

 

 

 

 

 天蓋には聖三位一体画像の両脇に立つ両聖人が描かれています。

 

4. San Giovanni Domnarum 聖ジョヴァンニ聖堂

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 サンタマリア・デルカルミネ聖堂(Santa Maria del Carmine)前の、カルミネ広場 (Piazza dei Carmine)を南に進み、すぐのマスケローニ通り(Via Mascheroni)に左折して、右側一本目のアーチのある細い道をくぐると、左側にロマネスク様式の鐘楼が見えるので聖堂であることが分かります。

 

 非常に小さな聖堂で、街の建物の中に埋没していますので、到着するのは困難です。街の観光地図にも出ていません。

 

 7世紀にグンテンベルガ王妃(Guntenberga)により、女性用の洗礼堂として建設されました。街でも古い聖堂に属します。

 

 レンガ造りの正面には建設当初は薔薇窓があったと推測される位置に、聖堂を奉献する聖人の絵が描かれています。窓にはなっておりませんので、現在では光はその上の窓から聖堂内に差し込んでいます。

 

 内部は単廊式で、アプシスにはキリストの磔刑像が飾られるだけの清楚な聖堂です。

 

 

 穹窿に支えられた天井には天空を示す見事な青色が残っています。

 

 

 聖堂の管理者にお願いすると地下聖堂も見ることができます。

 

 7世紀に聖堂が建設された当時のままの地下聖堂は、天井も低く、大きなものではありませんが、その柱と天井には12世紀に描かれたキリスト、聖人、大天使などの聖画像が残っており、ロマネスク聖堂のフレスコ画を間近に見ることができます。

5. San Michele Maggiore 聖ミケーレ・マッジョーレ聖堂

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 街の南端を流れるティチーノ川(Ticino)にかかるコペルト橋 (Ponte Coperto)の北東150mほどのところに、ロンゴバルド時代の772年にバシリカ様式の聖堂が建設されました。

 

 地震で崩壊した聖堂は1117年以降長期間に渡り、ロマネスク様式で再建されました。1160年には一応完成を見たようです。シャルルマーニュ大帝やフリードリッヒ赤髯王がロンゴバルド地方の王に即位する際に、戴冠式を行った由緒ある名刹です。

 

 正面はロンバルド地方で見られるスクリーンファサードと呼ばれる様式の代表的なもので、大きな切妻型の平らな石組に四本の片蓋柱を走らせることで三分し、中央と左右に各一か所、合計三か所に入口を設けています。

 

 

 中央には2連式窓を横に三つ並べ、その上に同じく三つ単体の窓を置き、その上に丸窓を十字架の左右に配しています。最上部には両脇から頂点に向かって並ぶ小さなアーチが華やかさ添えています。

 

 下層部の壁面には横4層になって浮彫が並び、鳥や動物や怪獣や人間など現在ではその形が摩耗して良く分からなくなっているものもありますが、特異な形態の浮彫が施されています。


 

 正面、三か所の入口上のティンパヌムには大天使ミカエルの浮彫があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖堂の北面にある入口上のティンパヌムも同じような形状になっています。

 入口の脇柱には幾層にもなって多くの浮彫が施されていますので丁寧に見て行くことをお勧めします。

 

 なお、街の案内板にも登場する「両尾を抱え持つ人魚」とその脇にケルト模様のように積み上げられた「顔の浮彫」は必見です。

 

 聖堂内部は三廊式のラテン十字形です。

 

 

 

 身廊の中央の戴冠式の際に王の座席が置かれた場所には印が残されており、その位置を確認することができます。

 

 早朝に聖堂を訪問し、その印のある場所から正面を向くと、1491年アゴスティノ(Agostino da Montebello)が制作した聖母戴冠図が描かれるアプシスの天蓋の上に並ぶ四連の窓から、眩いばかりの光が差し込み、厳粛な気持ちになります。

 

 ドームの頂点には祝福のポーズのキリスト像が描かれ、穹窿部分にもフレスコ画が残っているのが見られます。

 

 地下聖堂の柱頭にも、巨大な蛇や馬の体を持つ怪獣など、ユーモアに溢れた浮彫が施されています。一つ一つを丁寧に見て行くと時間の経つのを忘れてしまいます。

 

6. San Pietro in Ciel d'Oro サンピエトロ・イン・チエルドーロ聖堂

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 駅前から北に向かうトリエステ通り(Via Trieste)を進み、三差路で右折してファビオ・フィルツィ通り(Via Fabio Filzi)を進み、ダンテ広場(Piazza Dante)のロータリーからジャコモ・マッテオッティ通り(Viale Giacomo Matteotti)に入ってを城のある東に向かい、グリツィオッティ通り(Via Griziotti)を北に向かうと同名の広場(Piazza San Pietro Ciel d'Oro)に出ます。聖堂の前は木々が茂っており、近づくまで聖堂の姿は見えません。

 

 ロンゴバルドの王リュートプランド(Liutprando)がサルディニアから移遷された聖アゴスティノの聖遺物を祀るために772年に建設した聖堂です。聖ミケーレ・マッジョーレ聖堂(San Michele Maggiore)と同時代の建設です。当時の信仰と学問の中心でしたが、12世紀なってロマネスク様式の聖堂として再建されています。

 

 正面入り口の両脇に屋根まで走る片蓋柱が見えますが、良く見ると左右で太さが違い、上層部の二連式に並ぶ窓やその上の単層の窓、更に中央の二つの丸窓と十字形の窓と比較しますと、入口が中心からずれていることに気が付きます。

 

 正面には色々な時代の建築様式が混合しています。


 

 内部は三廊式です。

 

 一段と高くなっている中央祭壇には1362年頃に白大理石で制作された大きな聖アゴスティノの墓碑 (Arca di Sant'Agostino)が見えます。

 

 

 下層部の台座には人像柱をなす諸徳像が並び、中層部には布を持つ天使に囲まれた聖アウグスティヌスの像が横たわり、上層部には矩形パネルと三角形切妻の中に聖人伝の浮彫が並んでいます。

 

 

 

 聖堂内陣には聖アゴスティノの他に、リュートプランド王を含むロンゴバルドの王の遺骸が埋葬されています。

 

 

 アプシス上の天蓋には玉座のキリストが描かれています。正面右翼の祭壇下には12世紀のモザイクが残り、壁には1400年代のフレスコ画が見られます。

 

 

 地下聖堂には神学者セヴェリノ・ボエツィア(Severino Boezia)の聖遺骸が埋葬されています。

 

7. San Teodoro 聖テオドロ聖堂

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 ドゥオーモ広場からリグリ通り(Via dei Liguri)を南下し、カルダーノ通り(Via Cardano)に出たら右折して西に向かい、直ぐにまた南下するとサン・テオドロ広場(Piazza San Teodoro)に出ますが、旧市街の狭い道を入った所なので、やや分かりにくいかと思います。

 

 12世紀初頭に建設されたロマネスク様式の聖堂です。

 

 正面は入口の両脇に天井まで走る片蓋柱で三分され、屋根の頂上に向けて両側からのアーチがアクセントをつけています。

 

 なお、19世紀に改修されたため、薔薇窓があったと思われる箇所には三連式の窓が並んでいます。正面の趣はサンタマリア・ベトレム聖堂(Santa Maria in Betlem)に良く似ています。

 

 内部にはロマネスク様式フレスコ画とルネッサンス期のフレスコ画が残されています。

 

 

 翼廊には1514年ランザーニ(Bernardino Lanzani)作の「聖テオドロの生涯」を示すフレスコ画の他、「聖アグネスの生涯」があります。

 

 「1522年当時のパヴィアの街」が描かれていますが、特に聖テオドロの背景に描かれたパヴィアの街の絵では、城や、コペルト橋が見られる他に、現在では破壊されて無くなった城壁が描かれているので、街の形状が良く分かります。


8. Santa Maria del Carmine サンタマリア・デルカルミネ聖堂

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 街の中心地にある大きな聖堂で、駅前からはコルソ・カミーリョ・ベンソ・カブール(Corso Camillo Benso Cavour)を東進し、カルミネ通り(Via XX Settembre)に左折して北上すると右手見えてきます。聖堂の前にある、同名の広場(Piazza del Carmine)からはその大きな聖堂を見渡すことができます。

 

 1375年にベルナルド(Bernardo da Venezia)の設計で建設が始められ、15世紀になって完成したゴティック様式の聖堂です。

 

 正面の薔薇窓の周囲には二重に天使の顔が浮彫になって並んでいます。

 

 

 二連の細長い尖塔形アーチの窓が並び、入口上のティンパヌムには受胎告知の浮彫が見えます。

 

 

 内部は、束柱が天井を支え、側廊の左側の4番目の礼拝堂にはモンカルヴォ(Moncalvo)制作の聖テレサ画(Santa Teresa del Gesu)が、右側にはサッチ(Tomaso Sacchi)制作の「聖ロックとペスト患者」(Sant Roch with the Plague Victims)、リッチ(Sebastiano Ricci)制作の「大天使」など、16世紀から17世紀の絵画を見ることができます。

 

 翼廊には15世紀のフレスコ画が飾られています。

9. Santa Maria in Betlem サンタマリア・ベトレム聖堂

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 街の南を流れるティチーノ川(Ticino)に掛かるコペルト橋(Ponte Coperto)を渡り、対岸のロータリーからミッレ通り(Via dei Mille)を進むと左側に見えてきます。通りからは見えませんが、裏手には鐘楼もあります。

 

 12世紀半ばに、ロマネスク様式で建設されましたが、18世紀に大幅な改修が行われています。

 

 

 正面は四本の片蓋柱で三分割されていますが、中央には薔薇窓があった跡が見られます。

 

 最上部のアーチ型装飾は屋根に沿って同一の大きさでの形態が並ぶことなく、ほぼ高さを揃えて、外側から内側に向かって階段状に小さくすると言う特異な形を取っています。

 

 

 最上部のロンバルディア様式の波型の浮彫を含め、古さと無骨な印象を与えます。

 

 

 正面入り口を囲む柱には聖ミケーレ・マッジョーレ聖堂(San Michele Maggiore)でも見られた動物様の浮彫が残されています。

 

 また、左側の片蓋柱にはライオンが羊を襲っている浮彫が見られます。入口の木の扉には星型の浮彫があります。

聖堂内部 (Wikimedia Commonsより)
聖堂内部 (Wikimedia Commonsより)

 

 内部は三廊式で、正面にアプシスが三つ並んでいます。

 

10. Santa Maria Incoronata di Canepanova サンタマリア・インコロナータ・ディ・カネパノヴァ聖堂

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 駅からはヴィットリオ・エマニュエーレII通り (Viale Vittorio Emanuele II)を進み、ミネルヴァ広場(Piazza della Minerva)のロータリーから、コルソ・カミーリョ・ベンソ・カブール(Corso Camillo Benso Cavour)に入って東進し、ヌオーヴァ通り(Strada Nuova)との交差を過ぎて、コルソ・ジェゼッペ・マッジーニ (Corso Giuseppe Mazzini)と名前を変えた後、「L'AltroVerso」というパンとコーヒーの店の手前でディフェンデンテ・サッキ通り (Via Defendente Sacchi)に左折して北上します。次の角右側にあります。

 

 1500年から1507年に掛けて、大聖堂の建設に関与した枢機卿アスカニオ(Ascanio Sforza)の命で建設されました。

 

 入口にはキリストの磔刑図が見られるだけで、他の装飾はありません。右手には鐘楼があり、八角形のドームが見えますが、一目見た限りでは聖堂のようには見えません。

 

 内部は外観とは大きく異なり、華やかな印象です。

 

 

 中央祭壇には聖母マリアの戴冠が飾られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プロカッチーニ(Procaccini)制作の絵画の他、多色彩色の壁画が壁を飾っています。

 

11. Santi Primo e Feliciano 聖プリモと聖フェリチアーノ聖堂

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 街の東南にあり、聖ミケーレ・マッジョーレ聖堂(San Michele Maggiore)からコルソ・ジェゼッペ・ガリバルディ(Corso Giuseppe Garibaldi)に出て右折し、450mほど進んで、右側に日本料理「朝日」があるところでランゴスコ通り(Via Langosco)に左折するとすぐ右に見えてきます。

 

 大きな聖堂ですが、近くに行くまで見えないので、見つけにくいかと思います。

 

 

 12世紀半ばにロマネスク様式で建設された聖堂です。14世紀から18世紀までは聖母マリアの使僕会に属していました。

 

 

 正面は近年改修され、入口上のティンパヌムには3世紀末に殉教した聖プリモと聖フェリチアーノ兄弟聖人の絵が描かれています。

 

 建物の端の片蓋柱とは別に、入口脇の片蓋柱は細く装飾的です。両脇から屋根の頂点に向けて並ぶアーチとその上の波型の模様はロンバルド帯を示しています。

 

 鐘楼はバロック様式で再建されています。

 

 内部は三廊式の聖堂です。

 

12. San Francesco di Paola 聖フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂

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 ダヴィンチ広場 (Piazza Leonardo da Vinci)から、広場北側の道を東に進み、ラッザロ・スパッランツァーニ通り(Via Lazzaro Spallanzani)と名前が変わったら、一つ目の交差点でディフェンデンテ・サッキ通り(Via Defendente Sacchi)に左折し、120mほど進み、通りの名前がコルソ・カイロリ(Corso Cairoli)に変わる手前の交差点をカルロ・ゴルドーニ通り(Via Carlo Goldoni)に右折します。そのまま進むとコレッジョ・ギスリエリ広場(Piazza Collegio Ghislieri)に出て、突き当たり左前方に見えてきます。

 

 ジョヴァンニ・アントニオ・ヴェネローニ(Giovanni Antonio Veneroni)によって設計された、サン・フランチェスコ・ダ・パオラのミニミ神父修道院(Convento dei Padri Minimi)の隣に、1715年に建てられました。

 

 聖堂は現在、ギスリエリ大学(Collegio Ghislieri)の大会議室(Aula Magna)として使用されています。隣の修道院も大学校舎として使用されています。

 

13. Cripta di Sant'Eusebio 聖エウセビオの地下聖堂

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 ダヴィンチ広場(Piazza Leonardo da Vinci)の脇にある、聖堂の遺跡です。

 

 アリウス派の聖堂でしたが、アリウス派が異端とされた後は聖エウスビウスに奉献され、名称が変更されました。この経緯は、7世紀にディアコノ(Paolo Diacono)が書き遺したロンゴバルド史(Historia Longobardorum)に記載されています。

 

 11世紀に再建されたロマネスク様式の聖堂も破壊されて、現在では遺構が残るだけとなっていますが、柱や天井にはフレスコ画の一部を見ることができます。