シエナ Siena_1

ローマから鉄道の直行便はありませんので、フィレンツェ行きに乗り、キウージ・キアンチャーノ・テルメ (Chiusi・Chianciano・Terme) で乗換えることになります。キウージ・キアンチャーノ・テルメからシエナまでは1時間20分程ですので、結局ローマからは3時間以上かかります。
フィレンツェからは直通便もありますが、エンポリ (Empoli) 乗換えが多く、ここからも1時間半ほどかかります。鉄道で訪問するには結構時間がかかります。なお、フィレンツェからシエナ行きのバスも出ていますし、一日観光のバスツアーもあります。
鉄道を利用した場合、駅は街の北西にありますので、旧市街まではバスを利用するか、駅前から長いエスカレーターを乗り継いで旧市街まで登り、エマニュエーレ2世通り (viale Vittorio EmanueleII) に出て、カモリャ門 (Porta Camollia) を目指して歩くことになります。
門を抜けて道なりに進むと 「via di Camolliaから via dei Montaniniに変わり、次いで Banchi di Sopra, via di Citta」と通りの名称が変わり、旧市街の中心部に着きます。なお、駅前からのバスは旧市街にあるバスターミナル (Piazza del Sale) まで入って来ますが、フィレンツェからのバスが到着するバスターミナル (Piazza a Gramsci) とは異なります。駅から中心地までは2km程あります。
なお、街の中心地にあるイタリアで一番美しいと言われるカンポ広場 (Piazza del Campo) からは、ドゥオーモ、ドゥオーモ付属美術館 (Museo dell’Opera Metropolitana)、市立美術館 (Museo Civico)、国立美術館 (Pinacoteca Nazionale) 共に至近距離です。
旧市街内には周辺地域の限られた場所にしか駐車場はありませんので、全て徒歩で廻ることになります。地図の上では近くに見えても、高低差が大きな坂道の街ですので、実際に歩くと距離を感じます。脚力が求められる街です。
また、真っ直ぐに見通しの良い道はありませんので、目的地に行くには地図またはスマートフォーンが必要です。通りの名が出ている地図はインフォーメイションで販売しています。なお、駅と宿の間はタクシーを利用することができます。
シエナはエトルリア時代の紀元前からの歴史を持ちますが、7世紀には北イタリアとローマを結ぶ街道が整備され街が発展していきます。12世紀には経済力も拡大しフィレンツェとの抗争が始まり、神聖ローマ帝国皇帝派のシエナはローマ教皇派のフィレンツェと衝突を繰り返すことになります。
内部でも世襲貴族と平民との抗争が続き、フランス・スペインを巻き込み政情は不安定となり、16世紀にはフィレンツェの支配下に入ることになります。
街は城壁で囲まれ、北のフィレンツェからの侵略から街を護る北端の要所のカモリャ門、北東の箱型の要塞化したオヴィール門 (Porta Ovile)、フィレンツェとの戦いに出陣し、勝利した兵士が凱旋した東のピスピーニ門 (Porta Pispini)、1327年に建設され狭間を持つ南のローマ門 (Porta Romana)、神聖ローマ帝国皇帝カール4世が入城したトゥーフィ門 (Porta Tufi)、西の聖マルコ門 (Porta San Marco)、ラテリ-ナ門 (Porta Laterina)、フォンテブランダ門 (Porta Fontebranda) など、現在でも8ヵ所の門が残されています。歴史ある立派な構造の門がありますので、城門を見て廻るのも一興です。
メディティ家のコジモ1世により再建された城 (Forte di Santa Barbara) には、国立エノテカ (Enoteca Italiana) があり、ワインの試飲ができるレストランがあります。街の中心からは少し離れて、市民競技場の奥にあります。
また、イタリア最古 (1472年創業) で、シエナ最大の企業がモンテ・デ・パスキ (Monta de Paschi) 銀行で、サリンベーニ宮 (Palazzo Salimbeni) に本店を置き、イタリア各地にその支店網を張りめぐらせています。
有名なパリオの祭典は7月と8月に年2回開催され、街中が大混雑となります。シエナには17個のコントラーダがあり、地域ごとにそれぞれの表象を摺りこんだ旗を飾っています。
コントラーダについて
旧市街を北のカモリア門、南のローマ門、西のサンマルコ門の3ヵ月所からカンポ広場に向けて三本の大通りが走っていますが、その通りを中心にして旧市街はカモリア区、サンマルティーノ区、チッタ区に3区分 (Terzo:テルッツオ) されます。更にその区分を細かく分けた地域を街区 (Contrada: コントラーダ) と呼びます。
このコントラーダは長い歴史の中で、住民の強い結束を生むことになり、統治機構と軍事組織を維持し、教会・財産・街路・広場を管理し、その統合の表象として守護聖人・旗・色・歌を持っています。その結果、シエナの人々はシエナの市民としてよりは、コントラーダの住民として生まれ育って来たのです。
現在のパリオは中世の祭典を観光行事として行っているのではなく、コントラーダに属する住民が現代に生きている中世として、真剣に伝統に則った社会儀礼として施行されています。
3区に各20個あったとされるコントラーダも黒死病など人口が減ることで減少し、18世紀には現在の「ヤマアラシ: Istrice」「雌オオカミ: Lupa」「芋虫: Bruco」「麒麟: Giraffa」「一角獣: Leocorno」「貝殻: Nicchio」「牡羊: Valdimontone」「塔: Torre」「波: Onda」「亀: Tartuca」「蝸牛: Chiocciola」「豹: Pantera」「鷲: Aquila」「森: Selva」「鵞鳥: Oca」「梟: Civetta」「竜: Drago」の17に制定されています。なお、この特殊な表象 (コントラーダ名のリンク先 Wikipedia 参照) の起源は諸説あり、確実なことは判りません。
1. Duomo di Siena ドゥオーモ (Cattedrale Metropolitana di Santa Maria Assunta) サンタマリア大聖堂
2. Battistero di San Giovanni サンジョバンニ洗礼堂
3. Chiesa di San Cristoforo 聖クリストフォロ聖堂
4. Convento San Domenico 聖ドメニコ聖堂
5. Chiesa di San Donato 聖ドナート聖堂
6. Basilica di San Francesco 聖フランチェスコ聖堂
7. Chiesa di San Giorgio 聖ジョルジョ聖堂
8. Chiesa di San Giovannino della Staffa 聖ジョヴァンニ・デッラスタッファ聖堂
9. Chiesa e convento di San Girolamo 聖ジロラモ聖堂
10. Chiesa di San Giuseppe 聖ジョゼッペ聖堂
11. Chiesa dei Santi Niccolò e Lucia 聖ニコロとルチア聖堂
12. Chiesa di San Martino 聖マルティノ聖堂
13. San Niccolò al Carmine 聖ニコロ聖堂
14. Chiesa di San Pietro a Ovile 聖ピエトロ・アオヴィーレ聖堂
15. San Pietro alla Magione 聖ピエトロ・アッラマジョーネ聖堂
16. San Pietro alle Scale 聖ピエトロ・アッレスカーレ聖堂
17. Chiesa dei Santi Quirico e Giulitta 聖クイーリコとジュリッタ聖堂
18. Chiesa di San Raimondo al Refugio 聖ライモンド・アルレフージオ聖堂
19. San Sebastiano in Valle Piatta 聖セバスティアーノ・インヴァレピアッタ聖堂
20. Santuario di Santa Caterina 聖カテリーナ聖堂
21. Chiesa e convento della Maddalena マッダレーナ聖堂
22. Basilica di San Clemente in Santa Maria dei Servi サンタマリア・デイセルヴィ聖堂
23. Santa Maria della Scala サンタマリア・デッラスカラ施療院
24. Chiesa della Santissima Annunziata サンティッシマ・アヌンンツイアータ聖堂
25. Chiesa di Santa Maria di Provenzano サンタマリア・プロヴェンツアーノ聖堂
26. Santa Maria in Portico a Fontegiusta サンタマリア・インポルティコ・アフォンティジェスタ聖堂
27. Chiesa e convento di Santa Mustiola 聖ムスティアラ聖堂
29. Santi Pietro e Paolo 聖ピエトロ・エパオロ聖堂
30. Chiesa di Santo Spirito 聖スピリト聖堂
31. Oratorio della Compagnia della Santissima Trinità 聖三位礼拝堂
1. Duomo di Siena ドゥオーモ (Cattedrale Metropolitana di Santa Maria Assunta) サンタマリア大聖堂

1136年から200年あまりの間、建設が続けられました。1263/4年にドームが完成し、正面の3ヵ所の扉と柱は1297年に完成ました。1339年には南側に身廊を拡張し最大級の大聖堂を計画しましたが、1348年の黒死病で大打撃を受け、人口は大幅に減少し、また資金難から、遂に未完のままとなっています。

正面にはピサノ (Giovanni Pisano) 作、古代哲学者、旧約聖書の英雄、4大福音書記者、その表象像の他、ライオン・馬などのガーゴイルなど、おびただしい数の彫刻が見られます。
右手には鐘楼があり、アーチが徐々に増えて軽やかなリズム観を生じています。

身廊を見上げるとアーチ上には名札を付けた歴代法王の胸像が見られます。中央交叉部には12角形の円蓋があり、多数の守護聖人や預言者が小円柱の間に立ち、その下には塗金された聖職者の彫刻が立っています。穹窿には紺碧の空に金の星が瞬いています。

床は全面が色大理石のモザイク画で装飾されています。マッテオ・ディ・ジョヴァンニ (Matteo di Giovanni) 作 シビュラ (Sibylla) や、「赤子の殺害」など一部を見ることができます。
「赤子の殺害」については、地中海学会月報:2015年5月, 380号に掲載の、
本間 紀子氏 「シエナ大聖堂の舗床モザイク画《嬰児虐殺》とラファエッロ」もご覧ください。

内陣と左翼廊との境の説教壇はピサノ (Nicola Pisano) が1265年9月29日に契約し、3年後の1268年11月6日に完成させています。ピサの大聖堂の説教壇は六角形でしたが、ここでは八角形になっています。
人物像の彫られた中央柱の他、周囲には8本、その内4本はライオンが支えています。壇上はキリストの生涯が浮彫になっています。

左翼にあるピッコローミニ家の図書館は、法王ピウス2世の甥で後の法王ピウス3世になる、ピッコローミニ枢機卿が造らせた部屋で、ピントゥリッキオ (Pinturicchio)作 1502年、のフレスコ画のピウス2世の生涯が壁一面を飾っています。
また15世紀の聖歌集が展示されています。

ピッコローミニ家の図書館の奥にある、洗礼者ヨハネの礼拝堂 (Cappella di San Giovanni Battista) には、ドナテッロ (Donatello)作 1504年、の青銅製の洗礼者ヨハネ像が飾られています。
右翼のヴォート礼拝堂 (Cappella di Voto) には金の冠を被るグイド・ダシエナ (Guide da Siena)作 「聖母子」があります。
2. Battistero di San Giovanni サンジョバンニ洗礼堂
3. Chiesa di San Cristoforo 聖クリストフォロ聖堂

旧市街のメイン通りのバンキ・ディソプラ通り (Banchi di Sopla) に面した、トロメイ広場 (Piazza Tolomei) から聖堂の正面が見えます。
11世紀から12世紀にかけて建設されたシエナでも一番古い聖堂の一つで、ラテン十字型をしています。13世紀には共和制政府が置かれたこともあります。
1798年の大地震で崩壊し、19世紀初頭に、正面に4本の太い円柱を設け、中央の扉口と左右の壁龕を挟むローマ神殿の様な新古典主義様式で再建されています。
4. Convento San Domenico 聖ドメニコ聖堂

東西に走るサピエンツア通り (Via della Sapienza) の西端には同名の広場があり、煉瓦造りの大きな聖堂の全体が望めます。
聖ドメニコがシエナに訪れたとされる時期から遠くない1225年に建設が始まり、1262/65年に完成しています。14世紀にかけてゴティック様式で拡張され、1443年と1531年に罹災していますが、現在の姿になっています。
脇の鐘楼は15世紀の末の建設です。

聖堂内は単廊式で広い空間を誇示しています。正面中央には、ベネデット (Benedetto da Maiano) 作1475年、の大理石の祭壇があります。その左手の祭壇にはグイド・ダシエナ作 (Guido da Siena)、「荘厳の聖母子」が、右手の祭壇にはジョヴァンニ作「聖母子像」、さらに右には聖バルバラの祭壇が続きます。

入ってすぐのヴォルテの礼拝堂 (Cappella di Volte) にはヴァンニ作 (Andrea Vanni) 14世紀末、の「聖カテリーナ」のフレスコ画がありますが、画家は聖者を見て描いたと推測されています。

右側には1460年にニッコロ (Niccolo Bensi) の命で造られた、聖カテリーナ礼拝堂 (Cappella di Santa Caterina)があり、ジョヴァンニ(Giovanni di Stefano)が1469年に制作した彫刻で飾られた壁龕に、1384年にローマからシエナに移送された聖カテリーナの頭部が聖遺物として祀られ、側面はソドマ (Sodoma) 1526年、により聖者のフレスコ画「聖カテリーナの法悦」と「聖痕を受ける聖カテリーナ」が描かれました。

その奥にはジョルジョ作 (Giorgio)「東方三王の訪問」とソドマ作「聖母」が飾られ、左側には、カソラーニ作 (Alessandro Casolani) 1584年、の「降誕」やマネッティ (Manetti) の絵が並び、右側にはベンヴェヌート作 (Benvenuto di Giovanni) 1483年、の「玉座の聖母子と聖グレゴリー、聖ジェイムズ、聖ジェローム、聖セバスティアン」の絵を見ることができます。
5. Chiesa di San Donato 聖ドナート聖堂

サリンベーニ宮のある広場 (Piazza Salimbeni) の裏手にある聖堂です。
バンキ・ディソプラ通り (Banchi di Sopla) から聖フランチェスコ聖堂に向かう、ロッシ通り (Via dei Rossi) に入ると左手の広場 (Piazza dell Abbadia) の奥に見えてきます。
6. Basilica di San Francesco 聖フランチェスコ聖堂

町の中央の通り、バンキ・ディソプラ通り (Banchi di Sopla) からロッシ通り (Via dei Rossi) に入り、突き当たりに聖フランチェスコ聖堂があります。
当初はロマネスク様式で建設されたようですが、1655年に罹災し、現在の建物は19世紀末に再建されたものです。

聖フランチェスコ聖堂の前には広い広場があり、聖堂の正面と左側面が見えます。さらに奥には広大な修道院が控えていますが、現在は大学として利用されています。
正面の薔薇窓の周囲には4大福音書記者の表象の彫刻があり、ティンパヌムには聖母子と修道士が見えます。

アンブロージオ・ロレンゼッティ (Ambrogio Lorenzetti) 作、「フランシスコ派修道士の殉教」、「聖ルイの受任式」の他、ピエトロ・ロレンゼッティ (Pietoro Lorenzetti) 作、「キリストの磔刑」や、ソドマ (Il Sodoma) 作、「降誕」、ジャコポ作 (Jacopo di Mino del Pellicciaio)「聖母子」など名品が見られます。
7. Chiesa di San Giorgio 聖ジョルジョ聖堂

カンポ広場の外側を廻るチッタ通り (via di Citta) からバンキ・デソット通り (Banci de Sotto) に進み、更にパンタネート通り (via Pantaneto) に名称が変わってしばらく進むと左手に見えてきます。

なお、更に進むと左手の坂の下にスピリト広場(Piazza Santo Spirito) が見え、そこに聖スピリト聖堂があります。
13世紀にフィレンッツエとの戦いに勝利したことを祝って建設されましたが、現在はバロック様式に改修されています。
8. Chiesa di San Giovannino della Staffa 聖ジョヴァンニ・デッラスタッファ聖堂

カンポ広場の外側を廻るチッタ通り (via di Citta) からバンキ・デソット通り (Banci de Sotto) に沿って道なりに進むと、左手の坂下にグラッシ広場 (Piazza Grassi) が見え、その奥に赤煉瓦造りの小さな聖堂があります。

聖堂内は単廊式で、ベルナルディーノ (Bernardino Mei)、ヴァンニ (Raffaello Vanni)、ペトラッツイ (Astolfo Petrazzi) 等17世紀に活躍した画家の絵が飾られています。
9. Convento di San Girolamo 聖ジロラモ聖堂

カンポ広場の外側を廻るチッタ通り (via di Citta) からバンキ・デソット通り (Banci de Sotto) に進み、更にパンタネート通り (via Pantaneto) に名称が変わってしばらく進み、聖ジョルジョ聖堂を過ぎて噴水のある交差点を右手にジロラモ通り (via San Girolamo) に下ると、正面に時計台のある聖堂が見えます。
10. Chiesa di San Giuseppe 聖ジョゼッペ聖堂
11. Chiesa dei Santi Niccolò e Lucia 聖ニコロとルチア聖堂

大聖堂の正面右手から延びるカピターノ通り (via del Capitano) を進み、国立美術館 (Pinacoteca Nazionale) を過ぎると正面に聖ピエトロアッレスカラ聖堂が見えてきます。
そのまま道なりに坂道を登って行き、3本目のチェルキア通り (via delle Cerchia) を右折すると左手にある小さな聖堂です。
12. Chiesa di San Martino 聖マルティノ聖堂

鐘楼は18世紀の建造です。入口を入って上の絵は1526年の戦いを描いたもので、グイド作 (Guido Reni)「キリスト伝」や、グエルチーノ作 (Guercino)「バルトロメオの殉教」が見られます。
13. San Niccolò al Carmine 聖ニコロ聖堂

大聖堂の正面に向かって右手から延びるカピターノ通り (via del Capitano) を進み、国立美術館 (Pinacoteca Nazionale) を過ぎると正面に聖ピエトロアッレスカラ聖堂が見えてきます。
そのまま道なりに坂道を登って行き、3本目のチェルキア通り (via delle Cerchia)を右折すると聖ルカ聖堂があり、その前を右手に坂道を下ると左手に見える大きな聖堂です。
1262年にシエナ出最初のカルメン修道会の聖堂として開設されました。14世紀以降徐々に拡大されてきています。

17世紀に建造されたとみなされている大きな鐘楼が聳え立っていますが、現在聖堂としての機能を果たしていないように伺えます。
なお、従来掲示されていたとされる、ベッカフーミ作 (Domenico Beccafumi) 1535年、「天使の墜落」は現在国立美術館に収容されています。
14. Chiesa di San Pietro a Ovile 聖ピエトロ・アオヴィーレ聖堂
15. San Pietro alla Magione 聖ピエトロ・アッラマジョーネ聖堂

シエナの町を護る城門の一つ、北端にあるカメリア門から、コモリア通り (via Comollia) に入ると、右手にあります。
ロマネスク様式の小さな聖堂で、シエナに2カ所ある、ピエトロに奉献した聖堂の一つとされています。