カルピ Carpi
カルピ (Carpi)は、エミリア・ロマーニャ州モデナ県 (Modena)にあり、県都モデナに次ぐ第2の都市。
アクセス
モデナの北西20kmに位置しており、電車を利用すれば15分で到着します。平日は本数が多いのですが、休日には極端に電車の本数が少なくなります。
なお、マントヴァ(Mantova)からは60kmあります。
駅は町の東端にありますので、駅前から並木道を西に向かうと街の中心のマルティーリ広場に出ます。広場を中心に城や聖堂が存在していますので、一日あれば見て回ることができます。
街の歴史
ロンゴバルド王国の時代、752年に聖母マリアを祀る聖堂が建設されたことが街の歴史の始まりとされています。
14世紀の初めに、マンフレード (Manfredo Pio)を開祖として、ピオ (Pio)家がこの一帯を領有していました。後のアルベルト1世はサヴォイア家の傭兵隊長として活躍した結果、家名にサヴォイア (Pio di Savoia)の追加を許されています。
しかし、武力を主とするだけでなく、一族には枢機卿 (Rodolfo Pio)としてローマ法王ピウス3世を補佐する役職に就いたものや、1475年から1531年まで当主であったアルベルト3世 (Alberto III Pio)のように外交官として活躍をした人物を輩出しています。
特にアルベルト3世の活躍は華々しく、最初ミラノのビスコッティ公の下で、次いで神聖ローマ帝国皇帝のマクシミリアン (Maximillian I )、さらにはフランス王フランソワ1世の下で外交官として雇用されて活躍しています。
例えば、カンブリア同盟 (Cambria)の締結や第5回ラテラノ公会議の設営、カテリーナ・デ・メディチ (Caterina de Medici)とフランス王アンリ2世 (Henri II)との結婚の斡旋など、歴史的な偉業を挙げることができます。
1525年のパヴィアの戦いで与したフランソワ1世が敗北するとローマに逃亡し、1527年のカール5世によるローマ略奪が起こるとフランスに亡命し、フランスで没しています。
なお、このアルベルト3世の時代には多くの芸術家や文人が宮廷に集まり、ルネサンスの文化が花開いた時期でした。中でもバルダッサーレ・ペルッツィ (Baldassarre Peruzzi)はシエナの出身で、宮殿内のみならず、大聖堂、サンタマリア・イン・カステッリョ聖堂、聖ニコロ聖堂の装飾に関与し、ベルナルディーノ・ロスキ (Bernardino Loschi)とジョヴァンニ・セーガ (Giovanni del Sega)は宮殿内のフレスコ画などの装飾に携わっています。城の中にも多くのフレスコ画が残されています。ほかにウーゴ・ダ・カプリ(Ugo da Carpi)の活躍も見られます。
街の概要
街の中央には広大な規模のマルティーリ (Piazza dei Martiri)広場があり、ピオ家の宮殿 (Palazzo dei Pio di Savoia)はこの広場に面しており、威厳ある大きさを誇示しています。
城の北東の塔 (Torre di Passerino)は1320年の建設で、矩形で30mの高さがあり、北西の塔 (Torre dell'Uccelliera)は1480年の建築で円筒形をしています。旧城 (Rocca Vecchia)は15世紀から19世紀にかけて改築を重ねており、外観でその経緯がわかります。
城は時代ごとに追加されて拡大して来ており、その当時の建築様式が残っているので建築史的にも注目されます。現在では歴史資料館、博物館として開放されています。なお、水濠は埋め立てられています。
城の中の礼拝堂にもフレスコ画が残されています。
スカリオラ (Scagliola)
カルピで注目される装飾技術として、スカリオラ (Scagliola)があります。
人造花崗岩に象眼の細やかな色彩を施す技法で、大理石の安価な代用品として、17世紀から18世紀にかけて多くの作品が造られています。カルピ近郊の聖堂にはこのスカリオラで作られた祭壇をよく見ることができます。
その他の情報
カルピについては「ちゃお!カルピ」が詳しい。
1. Duomo (Santa Maria Assunta) サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂
街の中心のマルティーリ広場の北の端にあります。
1515年にペルッツィ (Baldassarre Peruzzi)の設計で建設が始められています。ヴァティカンのサンピエトロ大聖堂に感化されたとされています。
その後、数度にわたり建設は中断され、完成したのは19世紀になってからです。
正面は1701年にバロック様式で改装されています。中央扉口の上には聖母が、左右には聖ピエトロと聖パオロの立像がコリント式柱頭飾りのある二連円柱形の片蓋柱に挟まれて立っています。
上層階にも聖セバスティアン、聖ベルナルディーノなど四人の聖人立像が見られます。
ピオ家の紋章もある、華やかな表現です。交差廊上の八角形のドームは18世紀後半に載せられています。
聖堂内は三廊式で中央主祭壇にはキリストの磔刑像が置かれ、アプシスには聖母被昇天を表象する絵が掛けられています。
左側に設置されているオルガンは1555年の制作です。
蒲鉾天井には福音書記者他の聖人が見られます。
右側最初礼拝堂は聖ピエトロでフェラーリ (Luca Ferrari)作、三番目は聖ステファノ (Santo Stefano)礼拝堂、左側最初は聖ジュゼッペと聖フィリッポネリ(SS. Giuseppe e Filippo Neri)、二番目は聖母と聖ルカ、聖ニコロ、聖バルトロメオで、三番目はボッロメオ(Carlo Borromeo)です。
なお、柱や祭壇は多彩なスカリオラで飾られており、聖人像やキリストの絵、聖母像など絵画や彫刻が数多く飾られていますので、非常に華やかな聖堂になっています。
2. San Bernardino da Siena シエナの聖ベルナルディーノ聖堂
街の中心のマルティーリ広場 (Piazza Martiri)の南西の端から西に延びるジャコポ・ベレンガリアオ通り (Via Jacopo Berengario)を進み、二本目のトレント・トリエステ通り (Via Trento e Trieste)に左折して進むと、交差路の南西にあります。正面は東に向いています。
後に街の守護聖人となったシエナの聖ベルナルディーノを奉献して1605年に建設されています。
煉瓦造りで、扉口は一か所、両脇の片蓋柱が切妻屋根を支え、中央には丸窓があります。
聖堂内は単廊式で、主祭壇には聖ベルナルディーノの聖遺物を収納した聖人の胸像がおかれています。
両側壁には二か所の礼拝堂が並んでいます。右側には聖ロレンツォ (San Lorenzo)礼拝堂と聖ボッロメオ (San Carlo Borromeo)礼拝堂が並び、左側の中央に聖人像がおかれています。
天井は蒲鉾天井で彩色されているほかにもフレスコ画が見えます。
左半ばに説教壇があり、オルガンは1670年代のものです。対抗宗教改革の形態を示した構造の聖堂になっています。
シエナの聖ベルナルディーノがカルピの街の守護聖人になった経緯について、伝承によると以下の通りです。
1428年にカルピに対抗する勢力が侵攻してきた際、たまたま街に滞在していた聖人の指導の下に、修道院や民家からベッドを持ち出してバリケードを築き、敵の侵入を阻止することに成功したのです。包囲していた敵はとうとう街に入れずに撤退したとのことです。
ただし、聖ベルナルディーノが街の守護聖人として宣言されたのは1643年になってからであり、200年も経過してからです。
3. San Francesco d'Assisi アッシジの聖フランチェスコ聖堂
街の中心のマルティーリ広場 (Piazza Martiri)の南西の端から西に延びるジャコポ・ベレンガリオ通り (Via Jacopo Berengario)を進み、二本目のトレント・トリエステ通り (Via Trento e Trieste)に左折して、突き当りを右に曲がるとサン・フランチェスコ通り (Via San Francesco)で、聖堂の正面に出ます。
なお、途中に、シエナの聖ベルナルディーノ聖堂 (San Bernardino da Siena)が右手に見えます。
13世紀に建設された当時、聖堂の正面は西を向いていました。1681年に後期バロック様式で大改築され、現在のように正面は東向きに変更されています。
従って本来正面入り口の右側に並んでいた鐘楼は、現在では聖堂から離れて左後方にそびえています。なお、高くそびえる正面は煉瓦積みのままで、化粧板を取り付けるための穴が多く開いた状態になっており、それがかえって強烈な印象を与えています。
聖堂内はラテン十字形の単廊式で両側壁に四か所の小さな礼拝堂があります。聖堂にはピオ家の墓があり、マルコ(Marco Pio: 1418年没)と夫人の墓と、息子のピエトロ(Pietro Pio: 1494年没)と夫人の墓がみられます。
なお、現在入口は閉ざされており、聖堂としての役割は果たしていないようです。
4. Sant'Ignazio 聖イグナツィオ聖堂
街の中心のマルティーリ広場 (Piazza Martiri)の北の端にある大聖堂の前からマンフレド・ファンティ通り (Corso Manfredo Fanti)で西に向かい、聖キアラ聖堂 (Santa Chiara)を過ぎると左側にあります。通りに面しています。
1670年にイエズス会により建設され、1682年に完成しています。
ギリシャ十字形の聖堂で中央には八角形のドームが載っています。
聖堂内の中央はポッツオリ (Giovanni Pozzuoli)作の聖イグナツィオ祭壇で、右側には聖フランチェスコ祭壇があります。
その他にも聖カルロと聖ジロラモ (SS.Carlo e Girolamo)はランベルティ (Bonaventura Lamberti)作、聖ジュゼッペと聖フィリッポネリ (SS. Giuseppe e Filippo Neri)はスティンガ (Francesco Stinga)作など、17世紀の作品が飾られています。
現在は「Seminario Vescovile Di Carpi Casa Del Clero」という神学校になっているようです。
そして、2012年5月の大地震の影響でドームに亀裂が入ったために、2018年現在大修復中で、聖堂内に入れないばかりか、外側も工事用の布で覆われていて全く見ることができません。
なお、2012年のエミリア地震で被害を受け、閉鎖中や修復中の聖堂はモデナ、ボローニャの他、各地で見ることができます。
5. San Nicolò 聖ニコロ聖堂
街の中心のマルティーリ広場 (Piazza Martiri)の南西の端から西に延びるジャコポ・ベレンガリオ通り (Via Jacopo Berengario)を進み、ファッシ通り (Via Guido Fassi)で左折すると聖堂の正面に出ます。前に広場があります。
1493年、アルベルト3世により、街の中心地から離れた所に祈りの場所を設営する目的で、既にあった聖堂をロンゴバルド様式とブラマンテ様式を折衷したルネサンス様式で改築されています。
その後1516年にペルッツィ (Balddassarre Peruzzi )の設計で拡張され、現在の大きな聖堂になっています。
聖堂の前にはアーチ型の柱が並ぶ柱廊があり、中央に八角柱の巨大なドームが載り、街の遠くからも認めることができます。後陣には二本の鐘楼が立っています。
聖堂内はラテン十字形の三廊式で、ロスキ (Bernardino Loschi)により装飾されています。
現在学校として利用されており、聖堂としての役割は果たしていないようです。
なお、15世紀半ばに羊皮紙に細密画が描かれた祈祷書が大量に制作されましたが、その一部は城の博物館で見ることができます。モデナのエステンセ博物館には、それ以外の多くの祈祷書が保管されています。
6. San Rocco 聖ロッコ聖堂 (Santa Maria delle Grazie)
駅前からダッライ通り (Vialle Darfo Dallai)を進み、道の名前がカッバシ通り (Corso Sandro Cabbasi)と変わってから二本目を右に曲がり、ブルーノ通り (Via Giordano Bruno)を進むと突き当たりにあります。
1439年に建設され、サンタマリア・デレ・グラツィエ聖堂と呼ばれていました。18世紀後半に聖ロッコ兄弟会に属してから聖堂の名前が変えられています。
聖堂の正面は南向きで、左側に回廊を備えています。扉口は一か所、上に矩形の窓があるだけの簡素な作りです。16世紀のバロック様式です。
聖堂内は単廊式で、両側に四か所の小さな礼拝堂が並んでいます。現在、音楽会などが催される建物として利用されており、聖堂としての役割は果たしていません。
7. Santa Chiala 聖キアラ聖堂
街の中心のマルティーリ広場 (Piazza Martiri)の北の端にある大聖堂の前からファンティ通り (Corso Manfredo Fanti)で西に向かうと右側にあります。聖堂の右脇に沿って聖堂と同名の通りがあります。
15世紀後半に建設された、カルピで最初の女子修道院です。聖堂の左側に修道院の回廊が並ぶ大きな造りです。
聖堂の正面は通りに面して南面しており、17世紀と19世紀に改修されていますが、一か所の扉口の両脇の壁龕には、パドヴァの聖アントニオとシエナの聖ベルナルディーノの像が収められています。
聖堂内は単廊式で、内陣と平信徒との間に高い鉄柵が存在しており、15世紀の当時の形態を残しています。
中央祭壇には聖女の前に現れたキリストの絵が掲げられています。左壁に掛けられている、ボローニャ派の画家のジャコモとジュリオ (Giacomo e Giulio Francia)作、キリストの生誕と牧童の礼拝、はルネッサンス絵画の傑作です。
この修道院の建設に関して重要な人物として、16世紀初めのピオ一族のカミラ (Camilla Pio di Savoia)を挙げることができます。
カミラはフェッラーラ (Ferrara)にあるキアラ修道院で一生を神に捧げて過ごす決意でカルピを出ましたが、一日車で進んでも何故か、カルピの城門から出られませんでした。このことから、カルピで一生を捧げるように神が指示されたと悟り、修道院建設に全財産を投じ、自身もこの修道院で没しています。
平信徒側には聖母の立像の礼拝堂がありますが、祭壇はスカリオラで作られています。その他に聖母、聖クリスティナ、聖母の奇跡、などの絵があります。
蒲鉾天井にはピオ家の紋章と福音書記者の表象が描かれています。
8. Santa Maria in Castello サンタマリア・イン・カステッロ聖堂 (La Sagra)
街の中心のマルティーリ広場 (Piazza Martiri)の東側にある城の裏手にあるアストルフォ広場 (Piazza Re Astolfo)にあります。正面は城を向いて西面しています。
742年にロンゴバルド王のアストルフォ (Astolfo)により建設されたとされています。その後12世紀初めには、カノッサのマティルダ (Matilda di Canossa)の支援でロマネスク様式に改築されています。
1184年にカルピを訪問した法王ルチウス3世 (Lucius III)により奉献されたことから、祝福 (La Sagra)と呼ばれています。右脇に立つ鐘楼 (Torre della Sagra)は12世紀にロンゴバルド゙様式で造られ高さは49.5mあります。
各層にはロンゴバルド帯の装飾があり、最上部には二連式の尖塔形アーチが二層になり、頂点の四隅と中央に尖塔が立っています。
16世紀初めに広場建設のために、27mあった聖堂はその三分の一の大きさに縮小され、現在では当時の内陣に相当する8mの小ささになっています。
そのため鐘楼と聖堂とは非常に釣り合いの悪い形になっています。
正面はペルッツィ (Bardassare Peruzzi)の設計でブラマンテ流に造られ、扉口の上のティンパヌムにはロマネスク様式でキリストの磔刑の浮き彫りが施されています。
聖堂内は三廊式で、周囲には新約聖書から、東方三王の礼拝、エジプト逃避、赤子殺し、キリストの顕現、聖トマソの不信、エマオの食事、などのフレスコ画が描かれています。
なお、マンフレード の石棺 (Sarcophagus of Manfredo Pio)があります。
9. Santissimo Crocifisso 聖十字架聖堂 (Chiesa dell'Adorazione)
街の中心のマルティーリ広場 (Piazza Maritiri)から南に下るアルベルト通り (Corso Alberto Pio )を進み、最初の通り (Via San Bernardino da Siena)を右折すると左側にあります。そのまま進むとシエナの聖ベルナルディーノ聖堂 (San Bernardino da Siena)に至ります。
通常は礼拝聖堂 (Chiesa dell'Adorazione)と呼ばれています。
聖堂の正面は北向きです。1761年から1765年にかけて、ルーリ (Carlo Lugli)の設計で改築されています。正面は後期バロック様式の建築に白い化粧漆喰で立体的に塗られたロココ様式で装飾されています。カルピでは珍しい形態です。
中央には小さな八角形の塔が載っています。
内部の写真 (110枚以上の写真)をご覧になりたい方はこちら↓
CHIESA DEL SANTISSIMO CROCIFISSO - CARPI