フェラーラ Ferrara
フェラーラ (Ferrara)は、エミリア・ロマーニャ州にあるフェラーラ県の県都。
ルネサンス期に文化の中心地の一つとして栄え、「フェラーラのルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯」が世界遺産に登録されている。
【アクセス】
ポー川の流域に開けた町で、町は川の南側にあります。
ヴェネチアからフィレンツエに向かって国鉄を利用すると約1時間で着きます。ミラノからはボローニャ (Bologna)経由で2時間半程です。
駅は町の西端にありますので、城壁で囲まれた町の中心地までは1km程あります。
見どころは城壁内に集中していますので、町の中心のエステンセ城 (Castello Estense)を目印とすると共に、起点として町を歩くことができます。
【歴 史】
フェラーラの町は13世紀から16世紀まで、エステ (Este)家が支配していた時期が一番輝いていました。エステ家は芸術を重んじる家系で、フランチェスカ (Piero della Francesca)、アリベルティ (Leon Battista Alberti)などの芸術家を招き、北方ルネサンスの華の都として繁栄しました。
芸術尊重の伝統は今でも続いています。エステ家に縁のある宮殿や貴族の館、ルネサンス時代の美術工芸を収納した美術館など、多くの見どころがある落ち着いた町です。
1438年1月8日にフェラーラで召集されたキリスト教の公会議には、西欧諸国からの出席者の他に、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルから大勢の参加者が集い、カソリック教とギリシャ正教との間で宗教上の大問題が論議されました。
初めて見る東ローマ帝国からの訪問者を町の市民は勿論、西欧諸国からの出席者も最大の興味を持って迎えたことが、多くの残された史料で判ります。
なお、宗教改革者で焚形に遭ったサヴォナローラ (Savonarola)の生誕地でもあります。大聖堂前の広場にサヴォナローラの立像があります。
【その他の情報】
イタリア政府観光局公式サイト
フェラーラ公式サイト (英語)
フェラーラの芸術と文化 (イベント情報があります。伊語なので翻訳ツールを使用しましょう)
「JAPAN-ITALY Travel On-line」→「イタリア世界遺産の旅」→「フェッラーラ:ルネッサンス期の市街とポー川デルタ地帯」
「市長が語る我が町観光自慢 フェッラーラFerrara市長、サテリアーレ氏への質問」
1. Duomo ドゥオーモ Cattedrale : 大聖堂
駅から城壁を通って、カヴール通り (Viale Cavour)を進むとエステンセ城 (Castello Estense)が右手に見えてきます。
城のお堀に沿って右手に回るとリベルタ通り (Corso Martiri della Liberta)になり、右側に市庁舎があり、その対面の左側に大聖堂があります。
1135年に聖ゲオルギウスに奉献して建設された、ロマネスク様式とゴティック様式の混在した、高さと奥行がある大きな聖堂です。
聖堂の右手奥には白とピンクの大理石の縞模様の四層の鐘楼がありますが、聖堂に比較すると高さはありません。
アルベルティ (Leon Battista Alberti)1450年の設計で、ルネサンス様式です。
右側面にはアーチ型を支える円柱がリズミカルに並び、その外側に張り出してアーケードになり、長い聖堂側面に沿って店が続いているのは大きな特徴です。
聖堂正面の中央には大きな入口があり、楣石には「ご訪問」、「キリストの降誕」、「マギの礼拝」、「エジプト逃避」、「キリストの洗礼」などの浮彫が並び、ティンパヌムには「聖ゲオルギウスの龍退治」の浮彫があります。
その上は張り出しており、ヘラクレス結びの飾りが施された柱の下にはライオンの上に載って柱を背中で支える人物がいます。
コリント式柱頭飾りの並ぶ尖塔三葉形アーチの柱廊内には聖母子像が立ち、その上には最後の審判と、破風の中央には荘厳のキリスト像があります。
左壁面の尖塔三葉形アーチ内には「アブラハムの懐」が、右手のそれには「地獄」の浮彫が見えます。
その脇には太い扶柱が最上層まで伸び、正面を三部構成にしています。
両脇の建屋を二本の片蓋柱が更に三分構成に分け、柱廊のアーチの上に尖塔三葉形アーチと丸窓がシンメトリーに配置されています。その上層部にも柱廊があり、最上部の丸窓の上に破風に沿って小さなアーチ型柱廊が並ぶ構造はランゴバルド地方でよく見られるものです。
聖堂内は18世紀にマッツァレリ (Francesco Mazzarelli)により、それまでの三廊式が改築され、単廊式で両脇に礼拝堂が並ぶ形態となっています。中央内陣は16世紀初頭にロセッティ (Biagio Rssetti)により拡大され、奥の聖歌隊席は150の席が設けられています。
アプシスには16世紀末にヴァティカンのシスティナ礼拝堂にある、ミケランジェロの最後の審判に着想を得て、フィリッピ (Sebastiano Filippi)作の「最後の審判」のフレスコ画が描かれています。
正面扉口上には、ガロファロ (Garofalo)作のフレスコ画があります。
右手最奥には、グエルチーノ (Guelcino)1629年作、「聖ロレンツオの殉教 (Martirio di San Lorenzo)」があります。
聖堂内部の平面図と各礼拝堂の説明がこちら↓にあります。
(伊語ですが、翻訳でご覧ください)
2. San Francesco 聖フランチェスコ聖堂
エステンセ城 (Castello Estense)からジョヴェッカ通り (Corso della Giovecca)を東に進み、6本目のテッラヌオヴァ通り (Via Terranuova)に右折すると聖堂前の広場 (Piazza S. Francesco)に出ます。
1494年に、既にあったフランチェスコ会の聖堂をロセッティ (Biagio Rosetti)が改築し、1570年の地震で崩壊した聖堂を16世紀末にルネサンス様式で再建しています。
聖堂正面の下層部は、六本の白い大理石の片蓋柱が三か所の入口の脇に見えますが、上層部は赤煉瓦の片蓋柱になっています。
下層部と上層部の間は幅の広い帯状に組まれた煉瓦で繋がれていますが、良く見るとメダリオンを両脇から捧げている天使の浮彫が施されているのが判ります。上層部の中央には丸窓が一か所あります。
聖堂内にはガロファロ (Garofalo)1524年作、「キリストの捕縛」のフレスコ画の他、ランゴバルド派の画家の作品が飾られています。
内部の動画があります(YouTube)。4kなので「全画面表示」でご覧ください。
FERRARA in 4K - Basilica di San Francesco (11分7秒)
3. Santi Giuseppe, Tecla e Rita 聖ジョゼッペ・テクラ・エ・リタ聖堂
町の南を流れるポー川からの運河 (Canale de Plana)からパウラ門 (Porta Paula)を通って城壁内に入り、一本目のカルロ・マイヤー通り (Via Carlo Mayr)に右折して、南東に進むと右手にあります。
赤煉瓦造りの小さな聖堂です。
聖堂内部の主祭壇 (Wikimedia Commonsより)
4. Monastero del Corpus Domini コーパスドミニ修道院
エステンセ城 (Castello Estense)北東側からジョヴェッカ通り (Corso della Giovecca)を東に進み、6本目のテッラヌオヴァ通り (Via Terranuova)に右折すると聖フランチェスコ聖堂前の広場 (Piazza S. Francesco)に出ます。
広場からサヴォナローラ通り (Via Savonarola)に左折して、4本目の細いペルゴラト通り(Via Pergolato)に右折すると右手に見えてきます。
1415年に建設され、正面は16世紀に改築された入口と薔薇窓があります。
聖堂は清貧のクレア修道会に属し、エステ家の菩提寺としてエステ家の支援を受けて篤く維持されて来ました。ルクレツィア・デステ (Lucrezia d'Este)、エレノラ・デステ (Eleonora d'Este)も修道女としてこの修道院で務めていました。
聖堂内の内陣にはエステ家の当主、エルコーレ (Ercole)1世(=1505年没)とその妻のアラゴンのエレノラ (Elenora d'Aragona)、アルフォンソ (Alfonso)1世(=1534年没)と2世(=1597年没)と、それぞれの妻のルクレツィア (Lucrezia Borgia)と (Lucrezia de'Medici)が埋葬されています。
主祭壇中央にはスカルセリーノ (Domenico Scarsellino)作キリストの磔刑像が置かれています。
その他の情報
フェラーラ公式Webサイト (英語):
Monastero del Corpus Domini (英語)
開館時間、休館日などがあります。
I Viaggi di Raffaella (伊語ブログ:ラファエラの旅)
Ferrara: il Monastero del Corpus Domini, dove riposano gli Estensi (2017年8月17日(木))
↑詳細の解説、内部の写真も豊富です。
5. Santa Maria in Vado サンタマリア・インヴァド聖堂
エステンセ城 (Castello Estense)からジョヴェッカ通り (Corso della Giovecca)を東に進み、8本目のウーゴ・バッシ通り (Via Ugo Bassi)に右折して、マダーマ通り (Via Madama)と名前を変え、さらに南下するとボルゴヴァド通り (Via Borgovado)に変わったすぐ左側にあります。
10世紀には既に、ポー川が渡れるほどの浅瀬となっていた場所の近くにあった聖堂ですが、1495年にロセッティ (Biagio Rossetti)により改築され、赤煉瓦積みの正面には大理石の柱廊と立像で飾られています。
聖堂内は三廊式で、交差廊の両脇には16世紀のオルガンがあり、小さな聖血礼拝堂があります。
身廊の天井はボノニ (Carlo Bononi)作、「聖母の生涯」のフレスコ画で飾られ、フィリッピ (Camillo Filippi)1561年作、「受胎告知」など装飾豊かです。
その他の情報
フェラーラ公式Webサイト (英語) → Church of Santa Maria in Vado (英語)
開館時間などが記載されています。
I Viaggi di Raffaella (伊語ブログ:ラファエラの旅) → Ferrara: la Chiesa di S.Maria in Vado (2017年7月20日(木))
こちら↑には内部の写真がたくさんあります。
6. San Paolo 聖パオロ聖堂
エステンセ城 (Castello Estense)から、東側のリベルタ通り(Corso Martiri della Liberta)を南に進み、市役所と大聖堂 (Cattedrale)の前を過ぎて、通りの名前がポルタレーノ通り (Corso Porta Reno)に変わります。さらに進むと右手に見える大きな聖堂です。
1570年の大地震で崩壊した聖堂跡に16世紀後半に再建されています。
聖堂正面は上層部と下層部に二分され、下層部は三分割されています。上層部の破風には両脇に尖塔が載っています。
聖堂内は三廊式で、両脇には五か所に礼拝堂があります。町の名士、有力者が多く埋葬されており、礼拝堂内には16世紀から17世紀の多くの絵画が掲げられている、華やかな聖堂です。
スカーセリーノ (Scarsellino)作、「聖霊降下」、「洗礼者ヨハネの生誕」、やバスティアニ-ノ (Bastianino)作、「受胎告知」、「キリストの復活」、「割礼」などが見られます。
フェラーラ公式Webサイト (英語) → Church of San Paolo (英語)
こちら↑の情報では、現在 (2020年1月)修復工事で閉鎖中とのことです。