パルマ Parma_1

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Parma  ファルネーゼ劇場 (Teatro Farnese)
Parma ファルネーゼ劇場 (Teatro Farnese)

パルマ (Parma)は、エミリア・ロマーニャ州にあるパルマ県の県都。

 

アクセス

 ミラノから鉄道を利用した場合、1時間半ほどで到着します。駅は町の北端にありますので、市内へはバスを利用することになりますが、駅前から町の中心部へのアクセスは便利です。

 

 パルマは近郊の町村への起点ともなっていますので、バス路線が発達しており、鉄道では行けない近隣の村を訪れるのにも非常に便利です。

 

 車で訪れた場合には、町の周辺にある駐車場に停めることになり、町中にはバスか徒歩で入ることになります。 

 

 

歴 史

 パルマは古く紀元前のローマ時代から続く町で、ピアチェンツァ (Piazenza)からリミニ (Rimini)まで伸びるエミリア街道の主要な町として建設され、発展してきました。

 

 イタリア北部の多くの都市がローマ法王側と神聖ローマ帝国皇帝側とに分かれて戦った時代には、神聖ローマ帝国皇帝側に立ち、11世紀にはローマ法王に対抗して二人の法王が出ています。

 

 都市国家共和国として繁栄した時代がありましたが、有力な支配者が存在せず、都市としてはあまり目立たない時期が続いています。

 

 ミラノがヴィスコンティ (Visconti)家や続いてスフォルツァ (Sforza)家により統治されていたように、フィレンツェはメディチ家、隣のモデナはエステ家、マントヴァはゴンザーガ家、さらには総督の治めるヴェネツィアやローマ法王庁のローマと言った都市と比べると、特徴の無い地方都市にすぎませんでした。

 

 そのパルマが歴史の表舞台に出てくるのは、1545年にパウルス3世法王がパルマとピアチェンツァを元に、公爵領を人工的に造り上げ、長男に与えた時からです。それがファルネーゼ (Farnese)家です。

 

 ピロッタ宮殿が建造され、ラヌッチョ1世公爵は1618年からファルネーゼ劇場を建設させています。その後多くの聖堂や修道院が造られて来ました。

 → ピアチェンツァ (Piacenza)のカヴァッリ広場にあるラヌッチョ1世公爵の騎馬像を参照ください。 

 

Parma  ファルネーゼ劇場に隣接する 美術館 (Galnieria Nationale)
Parma ファルネーゼ劇場に隣接する 美術館 (Galnieria Nationale)

 ファルネーゼ家は8代続きますが、1731年以降はフランスのブルボン (Bourbon)家がパルマ公爵を継承し、イタリアの統一まで支配しています。

 

 武力で存在を誇示した時代もありましたが、芸術を高揚することでその存在を喧伝した時代が多く、時勢によりその変遷は変化に富んでいます。多くの重要な聖堂の他、宮殿 (Palazzo della Pilota)や博物館、美術館、劇場など、それぞれの時代に応じた遺跡や建物等、訪問すべき所や、見るべきものがたくさんあります。

 

 16世紀の初めの20年間に、コレッジョ (Correggio)、パルミジャニーノ (Parmigianino)により、パルマ派と呼ばれる芸術流派が形成され、芸術の黄金時代を築き上げています。多くの芸術家の作品を聖堂の壁画や美術館で見ることができます。

 

 

町を歩く

 宮殿 (Palazzo Ducale)はパルマ川の西岸に広大な公園の中にありますが、多くの聖堂や美術館は川の東岸にまとまっていますので、歩いて回ることができます。

 

 また、パルマはパルマハムやパルメジャーノ・レッジャーノのチーズで有名な美食の町ですから、高級な飲食店だけでなく、お洒落なレストランが多くあります。聖堂を見て廻りながら、食事も楽しむと言う、ゆっくり滞在して文化を満喫したい町です。非常に洗練されており、観光客にも親切な、世界に開かれた町と言えるでしょう。

 

 宿は駅前にもありますし、町中にもありますので、不自由はしません。夜、食事に出かけることを考えると町中に宿をとることをお勧めします。

    

 写真はファルネーゼ劇場 (Teatro Farnese)に隣接する美術館 (Galnieria Nationale)で、収容されている美術品の質は高く、かつ膨大な量が展示されていますので、この美術館の展示品を見て廻るだけでも一日は充分かかります。

 

 

その他の情報

 パルマは美食の都として知られる。DOPである「パルミジャーノ・レッジャーノ」「プロシュット・ディ・パルマ」で有名。

 「パルマハムについて (パルマハム協会)」

 

 

  パルマ情報はこちら

 「JAPAN-ITALY Travel On-line」「私の住む町Travel案内 パルマ Parma」

 「市長が語る我が町観光自慢」→「パルマ市長エルヴィオ・ウバルディ氏

 

 

 

1. Duomo (Cattedrale di Santa Maria Assunta) 大聖堂

 

 現在の町の中心は、東西に走るレップブリカ大通り (Strada della Repubblica)と南北に走るガリバルディ大通り (Strada Garibaldi)との交差点手前にある、ガリバルディ広場 (Piazza Giuseppe Garibaldi)です。

 そこから北東にあるドゥオーモ広場 (Piazza del Duomo)は中世から続くもう一つの中心地です。

 

 11世紀半ばにパルマの司教で後の対抗法王となったオノリウス2世 (Onorio II )により建設が開始され、1106年に法王パスカル2世 (Pasquale II)により奉献されています。1117年の大震災で崩壊し、その後再建されています。

 

 イタリアのロマネスク建築を代表する大聖堂です。聖母被昇天に奉献されています。

 正面には3カ所の扉口があります。中央の扉口の両脇に動物を捕まえた姿勢の2頭のライオンが独立した円柱を支えてアーチ状の差掛け下屋を構成し、その上のアーチには切妻屋根が載っています。

 

 その上、聖堂正面の壁面にもアーチがありますので、正面には大きなアーチが三層構造となっています。二層目と三層目のアーチから三連式の幅の狭いアーチが左右2カ所ずつにまとめられて横に並び、更に切妻屋根に沿って小さなアーチが両脇からせりあがっています。

 

 最上部のロンゴバルド帯には良く見ると人物と動物の顔の彫刻が見られます。中に入る前にじっくり観察することをお勧めします。

 この構造により、洗練された優美な印象を受けます。中央扉口の楣(まぐさ)石にはケンタウロス、グリフォン、二頭の怪獣などロマネスク特有の彫刻を見ることができます。各扉口は細かに彫刻された数本の柱でアーチを構成しています。

 

 右脇の鐘楼は13世紀末にゴティック様式で建設されています。

 聖堂内部はラテン字型の三廊式です。

 

一段と高くなった内陣の中央にある主祭壇には聖使徒が六人並ぶ彫刻が施されており、アプシスには金鍍金されたキボリウムが置かれています。

 その両脇にはヤーコポ・フィリポとダミアーノのゴンザーガ兄弟によるブロンズ製の福音書記者像1508年作、があります。天井にはベドリ (Girolamo Mezzola Bedoli)作の最後の審判のフレスコ画が見られます。

 交差廊の右側にアンテラミ (Benedetto Antelami)作のキリストの十字架降下の浮彫があります。

 

 イタリアゴティック彫刻の最高傑作とされ、その後の彫刻に大きな影響を与えた作品で、ビザンティン様式が伺える作品です。アンテラミはフィデンツァ (Fidenza)の大聖堂の正面の彫刻も手掛けています。

 →  フィデンツァ Duomo (San Donnino) 大聖堂を参照ください。

 交差廊のドーム天井にはコレッジョ (Antonio da Correggio)作の「聖母被昇天」が透視図法により、雲が渦を巻きその中に多くの聖人と合唱天使と奏楽天使を配して、聖母が天に昇る様子が地上に居る我々が見上げている状況で描かれています。

 その下の八角形の枠の四隅には貝殻の形を背景に4人のパルマの守護聖人が描かれています。なお、聖ジョヴァンニ修道院 (Abbazia di San Giovanni Evangelista)のドームにもコレッジョの作品を見ることができます。

 両側廊には各々6カ所に礼拝堂が並び、12本の柱の上には半円形のアーチが載り、柱頭は動物や爬虫類、植物の葉の彫刻で飾られています。

 壁面からボールト天井まで、ロマネスク様式とルネサンス様式の多くの絵で埋め尽くされています。

 なお、広い地下聖堂(Crypt)の柱頭飾りの一つ一つを見ることもまた一興で、必見でしょう。

 

 

 

公式サイト「Piazza Duomo Parma」 (英語)

http://www.piazzaduomoparma.com/en/

 

「Cathedral」(英語)

http://www.piazzaduomoparma.com/en/cattedrale/

 

http://www.piazzaduomoparma.com/en/opening-hours-and-tickets/

開館時間とチケット情報

2. Battistero 洗礼堂

 

 ドゥオーモ広場 (Piazza del Duomo)の大聖堂の脇にあります。

 

 パルマの町にある、多くの聖堂を訪れる時間の無い方には、この洗礼堂だけでも訪問することをお勧めします。この洗礼堂を訪れた方は、パルマに行ってきた、と言って良いかもしれません。

 

 アンテラミ (Benedetto Antelami)のもとで、1196年から1270年まで掛けて建設された、大きな八角形で四層の洗礼堂です。

 

 ロマネスク様式からゴティック様式への過渡期に建設されています。洗礼堂の中の絵画は躯体が完成した後も洗礼堂が完全に完成するまで描き続けられました。

 

 洗礼堂には3カ所に扉口がありますが、現在そのうち2カ所は閉ざされています。

 西の扉口のティンパヌムには「救済者キリスト」、北の扉口には「聖母」、南の扉口には「生命の樹」の浮彫が飾られています。

 周囲の壁には美徳と悪徳を表象する動物や、鶏や人魚や翅の生えた怪獣の様な空想上の動物などの浮彫が見られます。中に入る前にまず、洗礼堂を一周することをお勧めします。

 洗礼堂の内部は、側面から天井まで、多くの見事な絵画や彫刻で覆い尽くされており、その迫力には圧倒されます。八面体の内、扉口の無い五面は台座から各種の柱頭で飾られた支柱が天井を支えていますが、この支柱の柱頭飾りも注目に値します。

 穹霳は16面に区切られ、天井に一番近い所には赤地に白い星が散りばめられ、次いで青地に銀色の菱形が取り巻いています。その外側には12人の使徒と4人の福音書記者の表象、次いでキリストと聖母と旧約聖書の王と預言者、更に洗礼者聖ヨハネの生涯、最後に旧約聖書の場面、と四層に分けられて描かれています。

 側面には鍬で耕す2月、刈り取りの6月等、季節ごとの作業を表す彫刻が飾られ、またキリストの磔刑図や聖ジョルジョの龍退治など様々な絵画が飾られています。

 

 聖書に関連して描かれた場面を丁寧に眺めていると、時間の経つのを忘れてしまいます。

 洗礼堂の中央床に置かれたヴェローナ産の赤大理石で彫られた洗礼盤は13世紀初頭のもので、24カ所の窓から光が差し込んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 祭壇は赤大理石造りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公式サイト「Piazza Duomo Parma」 (英語)

http://www.piazzaduomoparma.com/en/

 

洗礼堂「Baptistery」(英語)

http://www.piazzaduomoparma.com/en/battistero/

 

 

 

 

3. Abbazia di San Giovanni Evangelista 聖ジョバンニ (福音書記者聖ヨハネ)修道院

 

 ドゥオーモの右側面のフェラーリ通り (Via Cardinal Ferrari)を東に進むと、聖ジョヴァンニ広場 (Piazzale San Giovanni)に出ます。

 

 10世紀末に建設された聖コロンバ (San Colombano)聖堂が15世紀半ばに火災で焼失し、16世紀になってザッカーニ (Bernardino Zaccagni)の設計で、ルネサンス後期のマニエリスム様式で建設された、ベネディクト派の修道院です。

 

 右後方にひときわ高く鐘楼が聳えています。

 

 聖堂の正面には3カ所扉口があり、中央扉口の左側に福音書記者聖ヨハネ、右に聖職者、上に聖母、二層部の中央の窓の両脇に聖職者、屋根の両端に聖人、の合計七体の立像彫刻が飾られています。

 

 両脇の扉口の上と、屋根の最上部に丸窓があります。左右対称の均衡のとれた聖堂です。

  

 聖堂内はラテン十字形の三廊式で、中央交差廊には大きなドームが載っています。

 中央主祭壇奥のアプシスにはベドリ (Gerolamo Mazzora Bedoli)1555年作「キリストの変容」が、上の半円形ドームにはコレッジョ (Corregio)作「聖母戴冠」が描かれています。

 脇にはマルティーニ(Innocenzo Filippo Martini)1588年作、巫女と予言者が描かれ、中央主祭壇上には天使が描かれています。

 

 中央交差廊のドームには、多くの天使に囲まれて中空に舞うキリストを11人の聖使徒が周囲から見上げている、コレッジョ1520年作、キリストの昇天が描かれ、四隅には四大教父と八人の聖書の人物が描かれています。

 聖ヨハネは他の使徒とは別に、円の脇のコーニスにいて、パトモス島で黙

示録を記載しているところです。この聖ヨハネは1962年に洗浄した時にフレスコ画の上にセッコで追加されていたことが判明しています。

 なお、両側廊には6カ所礼拝堂が並んでいます。

 右側廊には東方三王の礼拝、聖母子と聖ジャコモ、生誕などが描かれた礼拝堂が並び、左側廊にはパルミジャニーノ (Parmigianino)の、聖アガタ、聖ルチアや、聖カテリーナ、聖ニコラなど16世紀の作品がかけられた礼拝堂が並んでいます。

 

 

公式Webサイト (伊語)「Monastero di San Giovanni Evangelista」

http://www.monasterosangiovanni.com/

 

「la chiesa」

http://www.monasterosangiovanni.com/chiesa.html 美しい写真があります。

4. San Bartolomeo 聖バルトロメオ聖堂

 

 町の中心にあるガリバルディ広場 (Piazza Giuseppe Garibaldi)からマッジィーニ通り (Strada Giuseppe Mazzini )を西に向かいジョスエ・カルドゥッチ通り (Via Giosue Carducci)で右折して北に向かうと右側に見えてきます。

 

 聖堂の正面が通りに面しています。

 

 9世紀に聖サビナの聖遺骨を元に建設された聖堂ですが、12世紀に聖バルトロメオを奉じています。17世紀にバロック様式で再建されており、一カ所の扉口の両脇にはコリント式の柱頭飾りのある片蓋柱が並び、外側の壁龕には聖サビナと聖バルトロメオの立像が収められています。

 

  左側面奥に鐘楼があります。

 聖堂内は単廊式です。

 中央主祭壇には18世紀のペローニ (Giuseppe Peroni)作の聖バルトロメオの殉教の場面が描かれた絵がかけられ、両脇にはオルガンがあります。

 両側壁には4カ所の礼拝堂が並んでいます。

 

 小さな聖堂ですが、バランスの取れた形態をしています。

 

5. San Francesco del Prato 聖フランチェスコ聖堂

 

 ドゥオーモの左側面からサンタンナ通り (Str. Sant'Anna)を北に進むと聖堂前の広場 (Piazzale San Francesco)に出ます。

 

 

Chiesa di San Francesco del Prato:Facciata (Wikimedia Commonsより)
Chiesa di San Francesco del Prato:Facciata (Wikimedia Commonsより)

 聖堂正面は中央の扉口の両脇を太い片蓋柱が屋根まで伸びて、上には丸窓があり、両脇に多くの長方形の窓が開いています。

 

 13世紀初期に建設されましたが、19世紀初頭にナポレオンにより占領され、1810年には廃院にされています。その後市の刑務所として使用されていました。そのため正面の窓には鉄格子が残ったままです。

 

 なお、鐘楼は独房になっていたようで、穿たれた窓には鉄格子がはまっています。

 

 現在2020年末までに聖堂を再建する計画のようです。

公式Webサイト「Liberiamo San Francesco del Prato」

https://www.sanfrancescodelprato.it/it/

 

「La Chiesa」

https://www.sanfrancescodelprato.it/it/chiesa/

内部の写真があります。

Convent San Francesco del Prato - Frati Minori Conventuali (Oratorio dell'Immacolata Concezione) 聖フランチェスコ女子修道院

 聖フランチェスコ聖堂の右側面に接して建つ礼拝堂です。後陣の右手にある鐘楼の脇に当たります。

 小さな聖堂で、聖フランチェスコ聖堂の裏手に当たるプラート通り (Str. Del Prato)から入ることになります。

6. San Francesco di Paola 聖フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂

 

 ガリバルディ広場 (Piazza Giuseppe Garibaldi)から西に向かい、パルマ川にかかるメッツォ橋 (Ponte di Mezzo)を渡り、マッシモ・ダゼーリョ通り (Strada Massimo D'Azeglio)に入って、サンティッシマ・アヌンチァータ聖堂 (Santissima Annunziata)前をそのまま進み、サンタクローチェ広場 (Piazzale Santa Croce)に出る少し前の右側にあります。

 

 1224年に聖ヨハネ騎士団により救済院として建設され、当初は洗礼者聖ヨハネ聖堂でした。16世紀になってパルマ公により、聖フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂になっています。

 

 ナポレオンの占領下で廃院とされましたが、1818年にはパルマ公妃がパルマの中央病院として復活させています。なお、現在ではパルマ大学の人文科学系の図書館 (Biblioteca umanistica Paolotti)となっており、聖堂としての役割をはたしていません。

 聖堂は通りに面して南面しており、2カ所の扉口があります。両脇にそびえる鐘楼は17世紀になって建設されています。

 

 聖堂内は単廊式で、両側壁には3カ所の礼拝堂があります。

7. San Paolo 聖パオロ修道院

Viale d'ingresso al monastero (Wikimedia Commonsより)
Viale d'ingresso al monastero (Wikimedia Commonsより)

 

 町を南北に走るガリバルディ通り (Strada Garibaldi)からメローニ通り (Strada Macedonio Melloni)に右折して、道なりに進むとパルミジャニーノ通り (Borgo del Parmigianino)と名前が変わり、その左側にあります。正面は東面しています。

 

 10世紀頃にベネディクト派の女子修道院として建設され、主として富裕層の女性を対象としていたと思われます。ナポレオンの占領下で廃院にさせられています。

 

 現在ではストゥアード美術館 (Pinacoteca Stuard)となっており、修道院としての役割は果たしていません。グエルチーノ (Guercino)、グイドレーニ (Guido Reni)、ランフランコ(Giovanni Lanfranco)など14世紀以降の画家の作品が展示されています。

        

 Camera di San Paolo   聖パオロ修道院の小部屋

 メローニ通りから左に入る最初の細い道は、木立でトンネルになっており、都会の喧騒から離れて静寂が占めています。この道を進むと右側にあります。修道院の正面から見ると北西の奥に当たります。

 

 かつてバデッサ・ジョヴァンナ・ダ・ピアチェンツァ (Badessa Giovanna da Piacenza)が修道尼僧として暮らしていた部屋が美術館として開放されています。ほぼ正方形の部屋は、1516年に招聘されたコレッジョ (Coreggio)が描いたフレスコ画が天井に残っており、「コレッジョの部屋 (Camera del Correggio)」として紹介されています。

 

 部屋の天井は中央から放射状に16等分されており、それぞれに、最下段にグリザイユで描かれた、鳩を持つ女性、笛を吹くパン、三人の裸婦、槍を持つ男性裸像、天使、サソリを持つ女神、などの絵が並んでいます。

 

 その上の段の絵は彩色されており、メダイオンの中に二人ずつ裸の子供が犬を抱えたり、鹿の頭を持ち上げていたり、角笛を吹いていたり、弓を持ったりして戯れています。

 

 その上には花束が描かれています。

 また不思議なことに、暖炉の上には二頭の鹿が引く戦車に乗る狩の女神ダイアナが描かれています。

 

 色鮮やかに残されており、戯れる子供のしぐさはかわいらしく、ほほえましいものですが、この部屋に描かれたものが、ギリシャ神話に発想を得たものか、枢要徳の表象か、寓意なのか、何を意図して描いたのか、何を意味しているのか判断ができません

 

 隣の部屋はアランディの部屋 (Stanza dell'Araldi)と称されており、1514年にアランディ (Alessandro Araldi)が描いた天井画が残っています。紺碧の地に、蔦の葉、動物、花、人物、などが渦巻き状に絡み合う、いわゆるグロテスク模様が描かれています。天使と空想動物が戯れており、正に幻想的な天井画です。

 「コレッジョの部屋」とは趣を異にしますが、どちらも現実世界とは程遠い異常な空間に身が置かれることで、浮遊しているような感覚になれる特徴ある部屋です。このような絵画に囲まれて生活することがどのような精神構造を育むのか、興味のある空間が続いています。

 なお、大きな聖堂の高い天井に描かれた天井画を見あげたり、側壁に描かれたフレスコ画を見る場合と異なり、ここの修道院の天井は低いので、絵画館で絵を見ているように身近で見ることができます。

8. San Pietro Apostolo 聖ピエトロ聖堂

 

 ガリバルディ広場 (Piazza Giuseppe Garibaldi)の西側にあり、正面は東面しています。

 

 10世紀に建設された記録がありますが、15世紀にゴティック様式で再建され、再度18世紀に改築されています。正面は新古典主義様式で、中央に一カ所扉口があり、上には半円形のドームがあります。両脇にはコリント式柱頭飾りのある円柱が二本並び、最上部には三重冠と花綱と鍵の法王の象徴が浮き彫りされています。

 聖堂内は単廊式です。

 中央主祭壇にはマンゾーラ (Alessandro Mazzola=Girolamo Mazzola Bedoliの息子)作、聖母子と聖ピエトロと聖パオロの絵がかけられています。

 両側壁には2カ所の礼拝堂があり、内陣の上には円筒形のドームが載っています。

9. San Quintino 聖クインティーノ聖堂

 

 ガリバルディ広場 (Piazza Giuseppe Garibaldi)からレップブリカ通り (Strada della Repubblica)で東に向かい、聖クリスティーナ聖堂 (Santa Cristina)の脇を右折して7月22日通り(Strada XXII Luglio)を南下していくと右側にあります。

 

 聖堂は東面し、一カ所の扉口の両脇に片蓋柱が二層部分まで伸びています。小さな聖堂です。

 聖堂の建設はロンゴバルド王国時代まで遡るようですが、12世紀にベネディクト派により再建された後、女子修道院となっています。15世紀には正面の向きを現在の東向きに変更させています。

 聖堂内は単廊式です。

 中央主祭壇にはキリストの磔刑像が置かれ、両脇にはオルガンがあります。この聖堂の特徴としてアプシスにギャラリーがあり、二階建てのように見えるところです。

 

 聖歌隊席は16世紀にズッキ (Marco Antonio Zucchi)により制作されています。

 両壁には4カ所ずつ礼拝堂があります。扉口の内側の上にはディオの聖ヨハネ (San Giovanni di Dio)の肖像画が飾られています。

 

 掲げられている絵画は近年の作品で、聖堂の外観との差が大きく感じられます。なお、寝具室の回廊部分にはロマネスク様式の遺構が見られます。

10. San Rocco 聖ロッコ聖堂

 

 ガリバルディ広場 (Piazza Giuseppe Garibaldi)からジュゼッペ・マッジーニ通り (Strada Giuseppe Mazzini)を西に向かい、最初のカベストロ通り (Str. Giordano Cavestro)に左折して、1ブロック先の右側にあります。

 

 聖堂の正面はウニヴェルシタ通り (Str. dell'Universita)に面して北面していますが、現在の扉口はカベストロ通りと交差する角に斜めに向いています。鐘楼はカベストロ通りに面しています。

 

 1528年にぺスト疫の終焉を願って建設されています。その後18世紀にイエズス会により拡大されて再建されており、その際に鐘楼が建設されています。なお、拡張された部分は現在パルマ大学になっています。

 当初の聖堂は楕円形で両側壁に礼拝堂が並び、中央の奥に祭壇がある形態をしていました。

 

 その後の改築で、中央主祭壇の両脇と扉口の両脇に礼拝堂と聖具室が追加されましたが、当初の形態を残して改造されたために、聖堂内は変形の三廊式となり、内陣の前は円形に祭壇が設営されています。

 中央主祭壇奥のアプシスには19世紀の画家による聖母子と聖人が掲げられています。

 右側廊の礼拝堂には聖フランシスコザビエル (San Francesco Saverio)の絵があります。

 左側廊の礼拝堂には神の出現と聖イグナティオ (Sant'Ignazio)の絵が掲げられています。

 

 蒲鉾天井には亀裂の補修跡が残り、地震の被害があったことを伺わせます。

11. San Sepolcro 聖セポルクロ聖堂

 

 ガリバルディ広場 (Piazza Giuseppe Garibaldi)からレップブリカ通り (Strada della Repubblica)で東に向かうと左側にあります。

 

 高い鐘楼が通りに面して建っていますので、遠くからでもわかりますが、旧市街の東端に近く、中央からは結構離れています。

 

 鐘楼は1616年に建設されたバロック様式の5段式ですが、後に青銅屋根が載せられています。

 

 聖堂の右側面が通りに面しており、正面は西面して一か所の扉口があります。正面の前には狭い広場があります。

 13世紀に建設され、15世紀に改築されています。1566年にファルネーゼ (Alessandro Farnese)枢機卿のもとで、修道院 (Monastero)から大修道院 (Abbazia)に呼び名が変更されましたが、1798年に訂正されています。

 現在ではドメニコ派の修道院となっています。

 聖堂内は三廊式で、中央主祭壇の前には凱旋門アーチがあり、キリストの磔刑像の奥には昇天するキリストの絵が掲げられています。

 

 両側廊には5カ所の礼拝堂が並んでいます。