ポルトグルアーロ Portogruaro

ポルトグルアーロ (Portgruaro)は、イタリア東北部ヴェネト州ヴェネツィア県 (Venezia)にある町。
【アクセス】
鉄道で訪問する場合、ヴェネツィアからトリエステ (Trieste)に向かって1時間ほどで到着します。トレヴィーゾ (Treviso)から、途中ローマの植民都市であったオデルツォ(Oderzo)を経由して行く方法もあります。同じように1時間ほどで到着します。
駅は街の北西のはずれにあって、駅前には広大な駐車場がありますが、店はありません。旧市街の中心までは1kmほど歩くことになります。
何もない駅前に、コンクリートと鉄骨で造られた蒲鉾型の屋根が二個並んだ、体育館のような巨大な廃墟があります。旧市街にある、どの建物よりも大きく、大聖堂がいくつも入る大きさです。一大プロジェクトとして建設されたようですが、何らかの理由で頓挫したと思われます。巨大すぎて撤去するにも費用が掛かり、その結果放置されていると推測されます。異様な風景です。

【歴史】
街は、12世紀半ばに南隣のコンコルディア・サジッターリア (Concordia Sagittaria)の大司教の指導の下で、漁師が中心となって川沿いに港町を造ったのが始まりでした。
ちなみに、コンコルディア・サジッターリアは紀元前のローマ時代からの古い街で、389年にアクィレイア (Aquileia)の司教により建設された、聖使徒聖堂 (la Basilica Apostolorum)の遺跡などの初期キリスト教時代の聖堂が残っています。
西ローマ帝国滅亡後はロンゴバルド王国の支配下に入り、その後アクィレイア総主教(Patriarchi di Aquileia)の管下に入っています。街中の多くの修道院や聖堂はアクィレイアと深い関係があり、アクィレイアの宗教活動に多大な影響を受けています。
16世紀の半ばになって、司教座はコンコルディア・サジッターリアからポルトグルアーロに移されています。現在でも二つの街は隣接していますが、お互いを結ぶ交通手段はバスしかなく、往復するのには時間がかかります。
街は小さな漁村のままでしたが、15世紀初めにヴェネツィアの支配下に入り、漁村から徐々に通商を通じて発展してきています。街に入る門(Porta San Gottardo)も完備しています。

【街を歩く】
大聖堂の裏手を流れる、レメネ(Lemene)川にかかるローマ橋付近には12世紀からの水車(Mulini)や、魚市場があり、ヴェネツィアとの関連を印象付けるかのように、ゴンドラが置かれており、憩いの広場となっています。ヴェネツィア支配を示す、聖マルコの表象である、有翼のライオンも見られます。
駅前の印象とは異なり、旧市街は落ち着いた街です。小さな街ですからすべて歩いて回ることができます。

【ポルトグルアーロ 付近の街】
スンマーガ (Summaga)
ポルトグルアーロから3kmほど西に位置しているスンマーガの村には、12世紀に建設された修道院 (Abbazia di Summaga)があり、当時のフレスコ画が残っています。しかし、修道院が開門している時間は不規則で限定されています。駅前からスンマーガに向かうバスの本数はほとんどなく、タクシーもいないので徒歩で訪問することになります。

セスト・アル・レーゲナ (Sesto Al Reghena)
ポルトグルアーロの15kmほど北にあるレゲナ村にも12世紀に建設された修道院(Abbazia di Santa Maria in Silvis)があります。公共交通機関を利用する場合には、バスを乗り継いで訪問することになります。
いずれの場所に行くにも公共の交通機関で往復するには便が悪いので、訪問するにはポルトグルアーロに宿泊することをお勧めします。

コンコルディア・サジッターリア (Concordia Sagittaria)
ポルトグルアーロの中心のドゥオーモから3kmほど南に歩くと、4世紀に建設が開始され、15世紀に建てられた聖ステファーノ大聖堂 (Cattedrale di Santo Stefano Protomartire)があります。
1. Duomo 大聖堂 (Sant'Andrea)

駅前から巨大な廃墟を右手に見て草原を進み、州の警察署を過ぎてからレメネ川を渡って、旧市街に入り、サンニコロ通り(Borgo San Nicolo) からアバッツィア通り(Via Abbazia)に左折して、街の中央通りである、マルティーリ通り(Corso Martiri delle Liberta)に右折すると右手に見えて来ます。
1000年を過ぎたころ、ロマネスク様式で建設されたと思われます。16世紀の半ばに崩壊の恐れから、再建されており、その後1793年に再度改築されています。

聖堂の正面の前には広場もなく、道幅しかありませんので、全体を見渡すことはできません。聖堂正面は粗石のままで、三か所の扉口があるだけで飾りは全くありません。
広場(Piazza Duomo)は大聖堂の左手に広がっており、奥に方形で背の高い鐘楼が独立して建っています。広場の南隣に市庁舎前の広場 (Piazza Repubblica)があります。

左右の礼拝堂にはそれぞれ絵画が収められており、パルマ(Palma Il Giovane)作の「キリストの磔刑」や、アマルテオ(Pomponio Amalteo)1546年作、「聖アンドレアの生涯」等のほか、
2. San Giovanni 聖ジョバンニ聖堂

大聖堂 (Duomo)から市庁舎を右手に見て南下し、16世紀に造られた聖ジョバンニ門(Torre San Giovanni giá Porta Banni Portogruaro)をくぐると、通り名はサンジョバンニ通り(Borgo San Giovanni)となり、川を渡ると左手に方形で上に八角推の屋根の載った鐘楼が見えて来ます。
周囲の壁の上層部は全て16世紀に描かれ、修復されたフレスコ画で埋め尽くされています。果実、草木、動物、鳥、天使の他、福音書記者達が緑色を主体に描かれています。
3. Sant'Agnese e Santa Lucia サンタニェーゼ・エ・サンタルチア聖堂

聖ジョバンニ聖堂 (San Giovanni)の前からサン・ジョヴァンニ通り (Borgo San Giovanni)を南西に向かって進み、アントニオ・ボン通り(Via Antonio Bon)に右折し、レメネ川を渡ってサンタニェーゼ通り(Borgo Sant'Agnese) に左折して進むと左手に聖堂の後陣が見えて来ます。

聖ルイージと聖クリストフォロ聖堂 (Santi Luigi e Cristoforo)から行くには、聖堂前のセミナリオ通り(Via Seminario)を南下すると、通りの名前がカブール通り(Via Covour)と変わり、サンタニェーゼ門(Torre di Sant'Agnese)をくぐって、通りの名前がサンタニェーゼ通り(Vorgo Sant'Agnese)と変わり、さらにロータリーを越えて南下すると、左手に聖堂の後陣が見えます。

13世紀から14世紀ころにロマネスク・ゴティック様式で建設され、その後改築されてきています。
正面の右手奥に方形で上に円錐形屋根を載せた鐘楼があります。正面には丸窓と一か所の扉口があるだけの簡素な造りです。
4. Santi Luigi e Cristoforo 聖ルイージと聖クリストフォロ聖堂

大聖堂 (Duomo)の裏手からローマ通り(Via Roma)で水車を見ながらレメネ川を渡り、ガリバルディ通り(Via Garibaldi)に出て左折すると、セミナリオ通り(Via Seminario)と名前が変わりますが、そのまま進むと左手に見えて来ます。
聖堂の前には通りに沿って柱廊が並んでおり、それ以降両側にポルティコが続きますので、聖堂であったことを見逃してしまいがちです。
街で一番古い聖堂で、11世紀には存在していたと思われます。当初は聖ルイージ聖堂でしたが、後に聖堂名が変更されています。
正面は18世紀になって改築されています。アマルテオ(Pomponio Amalteo)1532年の作品、聖母子と聖クリストフォロと聖ジャコモがあります。
なお、通りを挟んで対面に、聖母受胎告知聖堂(Chiesa dell'Annunciazione di Maria)があります。ギリシャ正教の聖堂で、通りから奥に入ったところに建屋が見えています。
周辺には博物館(Museo Nazionale Concordia)や市立図書館、学校などの文教施設が並んでいます。またこの一帯はヴェネツィアの富裕層の別荘が並ぶ歴史地区で、15世紀の建屋等が並びますが、一部空き家となっているようです。
聖堂内部の写真が、Webサイト「Venezia orientale distretto turistico (ヴェネツィア東部観光地区)」の「Collegio Marconi – Chiesa dei Santi Cristoforo e Luigi」ページにあります。